北牧宿(渋川市)概要: 北牧宿(渋川市)は三国街道の宿場町で寛永20年(1643)に開設されました。高崎宿から4宿目、金井宿(〜20丁)と横掘宿(〜28丁)の間にある宿場町で吾妻川と対岸の杢ヶ橋関所(田中家の役宅:群馬県指定史跡)を控えていた為、北牧宿で宿泊などで利用する人も多く8軒の旅籠を含め160余軒の家屋が軒を連ねていました。
又、草津温泉(日本三名泉)に続く草津道と真田町(長野県上田市)へと続く真田道、沼田街道西通りの白井宿とを結ぶ街道の分岐点でもあり交通の要衝、物資の集積場としても発展しました。
北牧宿本陣は代々寺島家と山崎家が交代で勤め、寺島家では現在も広い敷地には土蔵や洋館が建ち、長い白壁の塀は当時の繁栄を感じる事が出来ます。北牧宿は芝宿・古宿・新田宿・中宿・道場宿に分かれ、現在は新田宿に水路が復元され様子を伝えています。
鎮守である若子持神社は、北牧宿の中心からやや離れた北方の高台に鎮座している神社です。創建は不詳ですが由緒である「子持神社引譜」によると安土桃山時代の天正14年(1588)に勧請されたとあり、明治から大正時代に周辺の鎮守を合祀し大正6年(1913)に現在地に遷座し大字北牧の鎮守となりました(現在、子持山に鎮座している子持神社の旧境内地とされ、平安時代に子持山に遷座した事を受け若子持神社に社号を改めたとも)。本殿は18世紀末から19世紀初期に造営されたもので一間社流造、祭神は木花咲夜姫命。
北牧宿に境内を構える興福寺は釈迦如来を本尊とする臨済宗永源寺派の寺院です。境内には天明3年(1783)に発生した浅間山大噴火で大きな被害を受けた事を受け、村の再興に尽力した根岸九郎左衛門(幕府勘定吟味役)の顕彰と、その教訓を後世に伝える為に文政12年(1829)に建立された「賑貸感恩碑」があり、昭和58年(1983)に渋川市指定史跡に指定されています。
三国街道:宿場町・再生リスト
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