金古宿(高崎市)概要: 金古宿は三国街道の宿場町で寛永20年(1643)に開設されました。高崎宿(高崎城の城下町)の次ぎの宿場町で人家も多く、200〜400軒の家屋が軒を連ね、本陣は代々今城家が、脇本陣は福田屋が勤めていました。
享和3年(1803)に行われた伊能忠敬の第4次測量で三国街道を利用した11月16日(旧暦10月3日)に金古宿の名主磯右衛門弟分家要蔵家で宿泊した事が記録に残されています。江戸時代後期の天保年間(1830〜1844年)には金古宿の眼医天田倉蔵が発起人となり、金古宿の松屋秀吉が発刊した「商家高名録・諸業高名録」には当時の当時の金古宿本陣兼問屋だった今城家の様子が挿絵により描かれています。
現在、街道沿いには古い家屋が散見でき随所には馬頭観音や二十二夜塔、双体道祖神、庚申塔などが見ることが出来ます。特に旗本松田氏の代官を務めた名主神保氏の屋敷には母屋、表門、圏舎(牢屋)、土蔵などが残っていて当時の名残を伝えています。表門(切妻、桟瓦葺、門番所付き)は総欅造りの重厚な門で慶応4年(1868)に起こった一揆で傷ついた跡なども見ることが出来、昭和52年(1977)に群馬県指定重要文化財に指定されています。
金古宿の鎮守である金古諏訪神社の創建は不詳ですが、古くから信仰され、特に例祭で奉納される太々神楽(榊舞・幣の舞・扇舞等、25座)は、古式を伝える神事として貴重な事から平成17年(2005)、高崎市指定重要無形民俗文化財に指定されています。
三国街道:宿場町・再生リスト
|