猿ヶ京宿(みなかみ町)概要: 猿ヶ京宿(みなかみ町)は三国街道の宿場町で高崎宿から13宿目で相俣宿と吹路宿の間にある宿場町です。猿ヶ京宿の集落的な発生時期は判りませんが、当地は赤谷川と西川が合流する戦略的な地で戦国時代には上杉方の城である宮野城(猿ヶ京城)が築かれていました。
永禄3年(1560)に上杉謙信が関東侵攻で三国街道を進軍した際には宿営地となり、その際、自分の歯が8本抜け落ち、手で拾い上げる夢を見たそうです。この夢は関八州が自分の手に入る吉夢と悟ると、謙信の生まれ年が申年である事に因み「猿ヶ京」と名付けたと伝えられています。その後も宮野城(猿ヶ京城)を巡り、上杉家、真田家、北条家、滝川家などが攻防戦を繰り広げられており、重要視されていた地域だったと思われます。
江戸時代に入り幕府から三国街道が整備されると、猿ヶ京宿の手前には赤谷川が流れていた事もあり寛政8年(1631)には関所が設けられ三国街道を利用する人物改めや物資の管理が行われました。川の増水や洪水などがおこると多くの人達が宿場で留め置かれる場合も多く、大きな負担が強いられたとされます。
又、宿場の近くには良質な温泉(現在の猿ヶ京温泉)が湧き出ていた事から態々、その温泉を求めて越後国(現在の新潟県)からも足を運ぶ湯治客が多かったそうです。現在は古い町並みはあまり見られませんが、関所の役宅が保存されている他、井戸や水車を復元して当時の雰囲気を醸し出しています。猿ヶ京関所は昭和59年(1984)に群馬県指定史跡に指定され内部は猿ヶ京関所資料館として三国街道の資料が展示されています。
みなかみ町猿ヶ京:上空画像
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