塚原宿(みなかみ町)概要: 塚原宿(みなかみ町)は三国街道の宿場町である中山宿と下新田宿の間の宿で元和5年(1619)に宿場として成立しました。金毘羅峠を背後に控えていた事もあり多くの人達が宿泊や休息に利用したとされ、40数棟の家屋が軒を連ね、旅籠9軒、本陣は2軒あって金古家と原沢家がその任に当たっています。
高野長英や伊能忠敬もこの宿場を利用したとされますが明治時代に入り宿駅制度が廃止され、主要幹線から外れると次第に衰退しています。伊能忠敬は享和3年(1803)に行われた第4次測量で三国街道を利用し11月14日(旧暦10月1日)に塚原宿の名主権左衛門家で宿泊した事が記録に残っています。
街道中心部に流れていた水路は失いましたが散見出来る古い家屋が当時の雰囲気を伝えています。塚原宿の外れには南北朝時代の貞治年間(1362〜1368年)に建立された「貞治の宝篋印塔」がありみなかみ町指定重要文化財に指定されてます。
逆側の外れには6〜7世紀に当地を支配した豪族の墳墓と思われる塚原古墳群があり、早くから開けていた地域だった事が窺えます。塚原古墳群は昭和53年(1978)にみなかみ町指定史跡に指定されています。
みなかみ町塚原:上空画像
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