高崎藩

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概要・歴史・観光・見所
高崎藩概要: 天正18年(1590)、徳川家康の関東移封に伴い、徳川四天王の一人井伊直政が箕輪城12万石の領主となり、慶長3年(1598)に和田城を改築、高崎城に改名し事実上、高崎藩が立藩します。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで大功を挙げた直政は、西軍の主力だった石田三成の佐和山城18万石に移封となり、慶長9年(1604)に酒井家次が入封しています。高崎藩は江戸に近く交通の要衝だったことから歴代譜代大名が藩主となり、安藤重長が藩主の時、徳川家光の弟の駿河大納言忠長を預り結果切腹させられています。駿河大納言忠長(徳川忠長)は2代将軍徳川秀忠3男、3代将軍の座を実兄である徳川家光と争い、政争に敗れると排斥、その後自らの悪行もあり高崎藩預かりの身となっています。自刃後は井伊家縁の大信寺に葬られるも死後も許されず、御霊屋を囲む玉垣に鎖が巻かれていたそうです。

【 大河内長沢松平家の治世 】−江戸時代前期の高崎藩は酒井家、戸田松平家、藤井松平家、安藤家、大河内長沢松平家、間部家と短期間に何度も藩主が何度も交代し享保2年(1717)に松平輝貞が藩主になると明治維新まで代々大河内長沢松平家が藩主を歴任しています。2代藩主松平輝高は藩校となる遊芸館を開校する一方で藩の財政を立て直す為高崎藩の特産物である絹織物や生糸に税を掛ける計画を発表すると、所謂「絹一揆」が発生しています。一方、幕政では寺社奉行、大坂城代、京都所司代、老中を歴任しています。3代藩主松平輝和は寛政3年(1791)に郡奉行大石久敬に命じて「地方凡例録」を作成、寛政5年(1793)の第1巻から寛政6年(1794)第11巻が完成しています(完成予定が16巻の為未完)。

【 幕末・戊辰戦争 】−幕末では佐幕派に属し、水戸藩の脱藩浪士が主力とする天狗党と対峙し下仁田戦争を起こしています。天狗党は下仁田街道(姫街道)を西上し上洛を目論見、幕府から追討令を受けた高崎藩は追撃しましたが、街道沿いを領していた、吉井藩小幡藩七日市藩の協力が得らず、単独で下仁田戦争に陥り、36名の犠牲者を出し敗北を喫しています(天狗党の戦死者は4名)。翌日、遺体は家族、親族に引き取られ、清水寺の田村堂には戦死者36名を模った木像が安置され慰霊を慰めています。戊辰戦争では新政府軍に属し三国峠(永井宿)に出兵、幕府重臣の小栗忠順(小栗上野介)が知行地である上州権田村に下向するとそれを捕縛しています。明治に入ると急速に藩政が悪化し明治2年(1869)には俗に言う"高崎藩5万石騒動"と呼ばれる大一揆が勃発し、農民4000人が高崎城下に押しかけています。

【 城下町 】−城下町は大動脈である中山道三国街道との結束点で、さらに中山道より最短距離で信州とを結ぶ信州街道(途中で草津温泉に分岐する道がある事から草津街道とも呼ばれた。)が分岐した事から交通の要衝地として経済的にも発展し大いに賑わいました。

高崎藩歴代藩主
 藩 主 名藩主年間石高備考
初代井伊直政1590〜160012万石 
初代酒井家次1604〜16165万石 
初代(戸田)松平康長1616〜16172万石 
初代(藤井)松平信吉1617〜16195万石 
初代安藤重信1619〜16215.6万石 
2代安藤重長1621〜16575.6万石 
3代安藤重博1657〜16955.6万石 
初代(大河内長沢)松平輝貞1695〜17107.2万石 
初代間部詮房1710〜17175万石 
初代(大河内長沢)松平輝貞1717〜17457.2万石 
2代(大河内長沢)松平輝規1745〜17497.2万石 
3代(大河内長沢)松平輝高1749〜17818.2万石 
4代(大河内長沢)松平輝和1781〜18008.2万石 
5代(大河内長沢)松平輝延1800〜18258.2万石 
6代(大河内長沢)松平輝承1825〜18398.2万石 
7代(大河内長沢)松平輝徳1839〜18408.2万石 
8代(大河内長沢)松平輝充1840〜18468.2万石 
9代(大河内長沢)松平輝聴1846〜18608.2万石 
10代(大河内長沢)松平輝聲1860〜18718.2万石 

高崎藩:城下町・町並み・写真

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高崎藩:名所・旧跡
高崎城
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大信寺
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頼政神社
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諏訪神社
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