前橋藩

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前橋藩・歴史・観光・見所
前橋藩概要: 前橋藩は江戸に近く交通の要衝だったことから有力譜代大名と親藩大名によって藩主が歴任された藩です。慶長6年(1601)に酒井重忠が3万3千万石で入封し前橋藩を立藩したのが最初で徳川家と同族だったことから幕府内でも重用され忠世、忠清の代には大老職を任ぜられています。酒井忠世の代に伊勢崎藩領5万2千石を合併し8万5千石、大老に昇進すると12万5千5百に加増され、忠行の代に15万2千5百石に達しています。4代藩主酒井忠清の代には弟である酒井忠能に上野那波郡など2万2千5百石を分知し(伊勢崎藩の立藩)、さらに3万石を幕府に返上しましたが、大老などの要職を歴任する過程で加増が重ねられ延宝8年(1680)に上総久留里領2万石が与えられ15万石となっています。跡を継いだ酒井忠挙も弟である酒井忠寛に2万石を分地し伊勢崎藩を立藩させたものの、宝永4年(1707)には2万石が加増され15万石に復しています。忠挙は幕政に参画しなかった事から領内整備に尽力し、五ヶ条の戒告や社倉法の発布、藩校好古堂の整備、農民保護などを行い、地名も「厩橋」から「前橋」に改名しています。

寛延2年(1749)に酒井忠恭が播磨国姫路藩(兵庫県姫路市)に転封となったことで松平朝矩(越前松平氏)が15万石で入封しましたが藩庁である前橋城が度重なる水害で大きな被害を受け明和4年(1767)に藩庁を川越(埼玉県川越市)へ移したことで名目上は前橋藩は廃藩となります(前橋領は川崎藩の飛び地扱い。前橋陣屋にて当地の行政を行った)。

【 幕末・戊辰戦争 】−幕末になると前橋城に藩庁を遷す機運が高まり、前橋城の再建に着手、慶応3年(1867)に竣工し藩庁を当地に遷した事で改めて前橋藩が17万石で再立藩されます。これには、前橋領周辺が生糸の生産により莫大な利益を得た前橋商人の尽力が大きく、利根川を改修した事で洪水の懸念も薄らいだ事も起因しています。当時の藩主松平直克は幕政にも参画し、文久3年(1863)には政事総裁職に就任しています。慶応4年(1868)に徳川慶喜が新政府軍に恭順すると、直克も同調すると共に徳川家存続に尽力、戊辰戦争では新政府軍の東山道総督に従い上野国周辺の鎮撫を命ぜられ三国峠(永井宿)や会津領に従軍しています。明治4年(1871)の廃藩置県により廃藩となり前橋県を経て群馬県に編入しています。


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前橋藩歴代藩主
 藩主名藩主年間石高備考
初代酒井重忠1601〜16173.3万石 
2代酒井忠世1617〜163612.2万石 
3代酒井忠行163615万石 
4代酒井忠清1637〜168113万石 
5代酒井忠挙1681〜170715万石 
6代酒井忠相1707〜170815万石 
7代酒井親愛1708〜172015万石 
8代酒井親本1720〜173115万石 
9代酒井忠恭1731〜174915万石 
初代松平朝矩1749〜176715万石 
初代松平直克1867〜186917万石 
2代松平直方1869〜187117万石 

【 産泰神社 】−産泰神社は前橋藩主の祈願所として庇護された神社で、特に酒井雅楽頭は奥方の安産祈願を行い、見事念願成就すると神意に感謝し居城である前橋城方向を正面にした社殿を造営し前橋城の守護神としたとされます(元々の産泰神社の社殿は赤城山を背にする南向きだったものを、前橋城の方向である西向き変えたとされます)。その後も自筆の額面、薙刀、御篭などを奉納し、姫路藩(兵庫県姫路市)に移封後も度々代参を派遣して参拝しました。

【 赤城神社 】−赤城山は前橋藩の藩庁が置かれた前橋城から見て北東の方角にあたる為、御神体とする赤城神社は鬼門鎮守として歴代藩主から篤く信仰されました。慶長2年(1601)には酒井重忠が大洞赤城神社の社殿を改築、寛永19年(1642)には酒井忠清が大洞赤城神社の社殿を造営、慶安2年(1649)には酒井忠清が三夜沢赤城神社に対して社領50石を寄進し、酒井雅楽頭が二宮赤城神社に絵馬「飾馬の図」を奉納しています。

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