中山道(上州路:新町〜坂本)

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概要・歴史・観光・見所
中山道(上州路)概要: 中山道は江戸時代初期に整備された五街道の1つで東海道に次ぐ街道として幕府から重要視されました。江戸日本橋から東海道草津宿まで67箇所の宿場を繋ぎ上野、信濃、飛騨、美濃などの諸藩の30家の参勤交代で利用され、各宿場町は大変賑ったそうです。碓氷峠、和田峠、鳥居峠などの難所が多く東海道に比べ6里ほど長かったものの、川留めが少なく宿泊料も比較的少ないなどの利点もあり旅人や女性達が利用しました。近代に入り主要幹線から外れた事で奈良井宿(長野県塩尻市)、妻籠宿(長野県木曽郡南木曽町)、平沢(長野県塩尻市)などの宿場町は当時の町並みを良く留め重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。上州路(群馬県)は新町宿から坂本宿までの行程で、倉賀野宿では日光例幣使街道が分岐、高崎藩の城下町(高崎城)でもある高崎宿では三国街道と草津街道(信州街道)が分岐していました。高崎藩と共に安中宿は安中藩の城下町(安中城)で、碓氷横川には中山道最大の関所といわれる碓氷関所(群馬県指定史跡)が設置されていました。

中山道(上州路)の宿場町

【新町宿】−新町宿(群馬県高崎市)は承応2年(1653)に設置された宿場町で、中山道の宿場町としては最も遅く成立し、江戸時代後期には本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠43軒の規模となりました。新町宿には多くの遊女も働き、於菊稲荷神社には重病だった遊女「於菊」が稲荷神の御加護により平癒して巫女になったとの伝承が残されています。明治時代には明治天皇の巡幸の際に宿所として利用され宿場内には行在所が設けられています。

【倉賀野宿】−倉賀野宿(群馬県高崎市)は中山道と日光例幣使街道の分岐点という交通の要衝として発展した町で、追分には閻魔堂や追分常夜灯が建立され往時の姿を留めています。中世は当地域の土豪の1人である金井氏の居城、倉賀野城の城下町として発展し、戦国時代に金井氏が没落すると、中山道の宿場町や烏川舟運の拠点として経済的な発展を遂げました。倉賀野宿の周辺には養報寺や永泉寺、倉賀野神社など倉賀野氏や金井秀景縁の史跡が多く、街道沿いには明治時代に再建された脇本陣の建物が異彩を放っています。

【高崎宿】−高崎宿は高崎藩の藩庁と藩主居館が設けられた高崎城の城下町として発展しました。中世の当地域は箕輪城が中心的な役割を持っていましたが、当時の城主井伊直政は徳川家康の命により箕輪城を廃城として新たに高崎城を築城しました。高崎の地は中山道と三国街道、草津街道が交わる交通の要衝として重要視され、高崎藩には歴代有力譜代大名が赴任しました。又、3代将軍徳川家光の実弟徳川忠長の配流地でもあり、城下にある大信寺には忠長の墓碑の他、縁の品々が伝えられています。

【板鼻宿】−板鼻宿(群馬県安中市)は信仰の対象となった榛名神社を結ぶ榛名道との分岐点で、碓氷川の川止宿として発展しました。特に江戸時代中期以降、一般庶民に行楽嗜好が高まり榛名神社への参拝する人が増大すると宿場町も活況を呈し(榛名神社を信仰する講である、榛名講が全国で結成され、多くの信者が榛名神社を目指しました)、江戸時代後期には本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠は54軒、その他にも多種多様な商店や茶屋などが軒を連ね、上州路七宿の内最大規模の宿場町となりました。江戸時代末期には皇女和宮の徳川将軍家への降嫁の際、板鼻宿が宿所として利用され、実際の寝所となった本陣書院の一部が残されています。

【安中宿】−安中宿は安中藩の藩庁と藩主居館を設けた安中城の城下町として発展した町で、現在でも旧猪狩家住宅(安中市指定文化財)や安中藩武家長屋(安中市指定文化財)などの城下町の遺構や安中藩主井上家縁の大泉寺などが点在しています。街道沿いも近代化が進んでいますが、土蔵の店蔵や町屋などが僅かに残され往時を偲ぶ事が出来ます。

【松井田宿】−松井田宿(群馬県安中市)は中世、松井田城の城下町として発展しました。松井田の地は関東地方と信州地方を隔てる碓氷峠を控える戦略的な重要拠点であった事から戦国時代後期は小田原北条氏の重臣大道寺政繁が城代となり、進軍する豊臣軍に対しましたが、激戦虚しく開城となりその後は政繁も豊臣軍に従っています。江戸時代に入ると取り締まりの厳しい事で知られる碓氷関所を控えている事から本陣2軒、脇本陣2軒が設けられていましたが、一般庶民は松井田宿よりも碓氷峠の麓の坂本宿の方が行程的にも便が良く、多くが坂本宿を宿泊所として利用しました。宿場内には補陀寺不動寺松井田八幡宮崇徳寺などの史跡が点在しています。又、間宿である五料宿には本陣に準じる五料茶屋本陣や茶釜石などの史跡が点在しています。又、郊外には榛名神社に至る榛名道と、妙義神社に至る妙義道が分岐していました。妙義神社は、妙義山(波己曽大神)を祭る山岳信仰が前身とし、江戸時代には江戸城の乾(戌亥)鎮守として篤い庇護を受けました。榛名神社、妙義神社の両社を参拝する人も多く、両社の境内を結ぶ街道を榛名妙義街道とも呼んでします。

【坂本宿】−坂本宿(群馬県安中市)は中山道の中でも難所の1つである碓氷峠、取締りの厳しい碓氷関所に挟まれた宿場町です。坂本宿は元々あった集落ではなく、中山道の便宜を図る為に寛永2年(1625)に高崎宿や安中宿などから住民を集めて新たに町割されました。江戸時代後期には本陣2軒、脇本陣が4軒あり、江戸時代末期には本陣職である金井家邸に皇女和宮が宿泊しています。

中山道のルート
江戸−板橋宿−蕨宿−浦和宿−大宮宿−上尾宿−桶川宿−鴻巣宿−熊谷宿−
深谷宿−本庄宿−新町宿−倉賀野宿−高崎宿−板鼻宿−安中宿−松井田宿−
坂本宿−軽井沢宿−沓掛宿−追分宿−小田井宿−岩村田宿−塩名田宿−八幡宿−
望月宿−芦田宿−長久保宿−和田宿−下諏訪宿−塩尻宿−洗馬宿−本山宿−
贄川宿−奈良井宿−藪原宿−宮ノ越宿−福島宿−上松宿−須原宿−野尻宿−
三留野宿−妻籠宿−馬籠宿−落合宿−中津川宿−大井宿−大湫宿−細久手宿−
御嶽宿−伏見宿−太田宿−鵜沼宿−加納宿−河渡宿−美江寺宿−赤坂宿−
垂井宿−関ヶ原宿−今須宿−柏原宿−醒井宿−番場宿−鳥居本宿−高宮宿−
愛知川宿−武佐宿−守山宿−草津宿−大津宿−京都

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