永徳寺(太田市)概要: 医王山和光院永徳寺は太田市徳川町甲に境内を構えている天台宗の寺院です。永徳寺の創建は平安時代の大同元年(806)、宥海上人(伝教大師最澄の弟子)が開山したのが始まりと伝えられています。
関東最初の天台三道場の1つだったとされ、鎌倉時代には徳川家の祖となった徳川義季がこの地に居館を築き歴代の祈願所としました。
天正18年(1590)に徳川家康が関東の領主になると祖先に縁のある寺院として天正19年(1591)に寺領50石を拝領、さらに江戸時代に入ると世良田に日光東照宮(栃木県日光市)の社殿が移され世良田東照宮が創建、別当として天海僧正が長楽寺を再興し永徳寺は長楽寺末寺100余ヵ寺の筆頭寺院として繁栄します。
江戸時代後期の文化14年(1817)の火災で多くの堂宇、寺宝、記録などが焼失し一時衰退しましたが長楽寺から派遣された円雄の尽力により弘化2年(1845)に本堂や庫裏などの堂宇の再建や境内の整備が行われました。
永徳寺は徳川家縁の寺院だった事から境内には権現堂(徳川家康の分霊が勧請され祭られていた。)が建立されていましたが大正13年(1924)に徳川東照宮の拝殿として移され、寺宝として国境争論幕府裁許絵図を所有しています。江戸時代に徳川郷の役人を務めた正田隼人義芳が描いた本堂の各部屋に配されてる杉戸絵(53枚・表裏:86面)は貴重な事から平成8年(1996)に太田市指定重要文化財に指定されています。
永徳寺本堂は木造平屋建て、寄棟、桟瓦葺き、平入、正面1間唐破風向拝付き、桁行8間、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、左右に花頭窓付、内部には本尊である薬師如来が安置されています。山号:医王山。院号:和光院。寺号:永徳寺。宗派:天台宗。本尊:薬師如来。
永徳寺:上空画像
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