明王院(太田市)概要: 呑嶺山明王院安養寺は群馬県太田市安養寺町に境内を構えている真言宗の寺院です。明王院の創建は平安時代後期の康平4年(1061)、源義家が後冷泉天皇の勅令を受け頼空上人を招いて開山したのが始まりと伝えられています。
中世に入ると新田氏の氏寺として庇護され、義貞の代で七堂伽藍の大寺に再建、元弘3年(1333)には本尊である不動明王が山伏に姿を替え、義貞が鎌倉幕府討伐に兵を挙げた事を越後一帯の新田一族に触れ回った逸話があり「新田触不動」と呼ばれています。
明王院境内にある千体不動供養塔は延享4年(1747)に小川宇兵衛重政が施主となり石工・和泉屋治良右衛門に造らせ奉納したもので、底辺が7.2m、高さ6m、15段の石段のピラミッド状の形状に南面238体、北面238体、東面270体、西面254体の不動尊像が安置されている大変珍しいもので昭和53年(1978)に太田市指定重要文化財に指定されています。
明王院仁王門(切妻、桟瓦葺き、三間一戸、八脚単層門)に安置されている木造二天像は南北朝時代に制作されたもので、桧材、寄木造、持国天立像:像高118.6cm、増長天立像:像高119.2cm、群馬県内最古級の二天像として貴重な事から平成25年(2013)に太田市指定重要文化財に指定されています。
明王院の境内一帯は安養寺館と呼ばれた新田義貞の館跡と推定され、遺構はありませんが安政3年(1856)に描かれた「安養寺村絵図」や昭和時代の「地籍図」ではその痕跡が確認出来るとされ、平成12年(2000)には名称「新田荘遺跡」として国指定史跡に指定されています。
不動堂は木造平屋建て、入母屋、銅瓦棒葺き、妻入、間口3間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り木部朱塗り、内部には本尊である不動明王像が安置されています。又、境内には昭和55年(1980)に復元された「白露もこぼさぬ萩のうねりかな」の芭蕉句碑が建立されています。上州新四国八十八ヵ所霊場第7番札所。山号:呑嶺山。院号:明王院。寺号:安養寺。宗派:真言宗豊山派。本尊:不動明王。
明王院の文化財
・ 明王院境内一円−新田荘遺跡−国指定史跡
・ 石造千体不動塔(附:請負覚書)-延享4年-太田市指定重要文化財
・ 木造二天像−南北朝時代−太田市指定重要文化財
・ 薬師如来座像(石仏)−南北朝時代−太田市指定重要文化財
・ 源義助 板碑−康永元年−太田市指定重要文化財
明王院:上空画像
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