長楽寺(太田市)

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概要・歴史・観光・見所

長楽寺(太田市)概要: 世良田山長楽寺は群馬県太田市世良田町に境内を構えている天台宗の寺院です。長楽寺の創建は承久3年(1221)、後鳥羽上皇の勅願により得川義季(新田義重の四男、徳川家の祖、清和源氏の新田氏の支流)が栄朝禅師(臨済宗の開祖・栄西の高弟)を招いて開山したのが始まりと伝わっています。

鎌倉時代は領主である新田氏や得川義季の次男頼氏が起こした世良田家から庇護されて寺運が隆盛し広大な境内には数多くの塔頭や支院などが軒を連ね全国から僧侶が集まり一大修行道場として発展し、室町時代初期には関東十刹(臨済宗の鎌倉五山に次ぐ寺格:禅興寺・瑞泉寺・東勝寺・万寿寺・大慶寺・善福寺・長楽寺・興聖寺・東漸寺・法泉寺)の第7位に格付けされました。

南北朝時代初期に新田義貞が戦死すると庇護者を失い衰微し、その後は足利尊氏が庇護するものの、最盛期には及ばず戦国時代を前後して再び衰退します。

慶長8年(1603)徳川家康が征夷大将軍になると徳川家縁の寺院として天海僧正を招いて天台宗の寺院として再興し徳川義季以下累代の墓守寺としました。寛永21年(1644)、三代将軍徳川家光が日光東照宮(栃木県日光市)を造営すると旧社殿を長楽寺境内に移築すると共に家康の分霊を勧請、新たに世良田東照宮を創建し当寺は別当寺となります。

江戸時代を通して幕府から寺領は200石の朱印地を与えられ寺運が隆盛し「お江戸見たけりゃ 世良田にござれ 世良田七宿七小路 お江戸勝りの長楽寺 池に反り橋 下り松」と唄われ最盛期には末寺700寺余を擁する大寺院として繁栄します。明治時代なると庇護者を失い衰退し、さらに神仏分離令により世良田東照宮と分離、多くの堂宇が失われました。

長楽寺三仏堂は慶安4年(1651)に三代将軍徳川家光によって再建されたもので木造平屋建て、寄棟、銅板葺(元茅葺)、平入、桁行5間、梁間4間、正面1間向拝付、外壁は真壁造り板張り、木部朱塗り、内部に設置されている須弥壇には群馬県指定文化財に指定されている釈迦如来座像・阿弥陀如来坐像・弥勒菩薩坐像が安置されています。

長楽寺三仏堂は江戸時代初期に建てられた御堂建築の遺構として貴重な事から昭和57年(1982)に群馬県指定重要文化財に指定されています。

太鼓門は江戸時代初期に建てられたもので入母屋、銅瓦棒葺、桁行3間、梁間3間、外壁は上層部真壁造り、丸窓、花頭窓風開口部、四周高欄、三間一戸、楼門形式(竜宮門風)、下層部下見板張り袴腰。長楽寺太鼓門は江戸時代初期の楼門建築の遺構として貴重な事から昭和57年(1982)に群馬県指定文化財に指定されています。

勅使門(切妻、銅板葺、四脚門)は世良田東照宮の神門として寛永年間(1624〜1645)に建てられたもので普段は開かずの門で幕府の役人など身分の高い人物が参拝に訪れた時のみ利用されましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により世良田東照宮の仏式が排された為、明治8年(1875)に長楽寺の所有に移りました。

本堂は比較的新しい建物で、木造平屋建て、入母屋、本瓦葺き、平入、桁行6間、外壁は真壁造白漆喰仕上げ。

長楽寺石宝塔は鎌倉時代の建治2年(1276)、円明仏演禅師(長楽寺第三世)によって建立されたもので凝灰岩製、高さ1.65m、当時を代表する石造宝塔として大変貴重なことから昭和36年(1961)に国指定重要文化財に指定されています。又、境内全域は新田荘遺跡として平成12年(2000)に国指定史跡に指定されています。山号:世良田山。宗派:天台宗。本尊:釈迦如来。

境内背後の敷地(現在の歴史公園)からは中世の居館と思われる堀が発見されており、世良田氏が居館として利用した世良田館の址とも推定されています。

長楽寺の文化財
・ 境内−新田荘遺跡−国指定史跡
・ 石造宝塔−建治2年−国指定重要文化財
・ 絹本墨画出山釈迦図−国指定重要文化財
・ 紙本墨書長楽寺文書(7巻・117通)−国指定重要文化財
・ 勅使門−寛永年間・旧東照宮神門−群馬県指定重要文化財
・ 三仏堂−慶安4年・徳川家光再建−群馬県指定重要文化財
・ 太鼓門−江戸時代初期−群馬県指定重要文化財
・ 普光庵法照禅師月船?海墓所出土品−群馬県指定重要文化財
・ 紙本墨書永禄日記−永禄8年(1565)−群馬県指定重要文化財
・ 三仏堂三尊仏−釈迦・阿弥陀・弥勒坐像−群馬県指定重要文化財
・ 木造法照禅師月船?海像−寄木造、像高94cm−群馬県指定重要文化財
・ 木造伝徳川義季夫人像−寄木造、像高85cm−群馬県指定重要文化財
・ 木造伝徳川義季像−寄木造、像高87.5cm−群馬県指定重要文化財
・ 紙本墨画三十三観音像−室町時代−群馬県指定重要文化財
・ 絹本著色十六羅漢図−鎌倉時代末期(?)−群馬県指定重要文化財
・ 絹本著色山王曼荼羅図−南北朝時代−群馬県指定重要文化財
・ 絹本著色慈覚大師像−南北朝時代−群馬県指定重要文化財
・ 絹本著色律台栄宗像−南北朝時代−群馬県指定重要文化財
・ 絹本著色荏柄天神像−南北朝時代−群馬県指定重要文化財
・ 絹本著色牧翁了一像−南北朝時代−群馬県指定重要文化財
・ 絹本著色無準師範像−南北朝時代−群馬県指定重要文化財
・ 紙本墨画蘭図(雪窓筆)−元時代−群馬県指定重要文化財
・ 絹本墨画枯木図−元時代−群馬県指定重要文化財
・ 絹本墨画葡萄図 伝・日観筆 双幅−元時代−群馬県指定重要文化財
・ 絹本墨画月湖観音像−元時代−群馬県指定重要文化財
・ 絹本墨画淡彩呂洞賓図−明時代初期−群馬県指定重要文化財

長楽寺:上空画像

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


長楽寺:ストリートビュー

長楽寺:写真

長楽寺
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長楽寺:歴史的建造物

三仏堂三仏堂
・三仏堂は3代将軍徳川家光が江戸時代初期の慶安4年(1651)に造営したもので、長楽寺の信仰の中心的や役割を持ちました。内部には群馬県指定文化財に指定されている釈迦如来像、阿弥陀如来像、弥勒菩薩像の「三仏」が安置されている事が「三仏堂」の名称の由来となっています。建物は木造平屋建て、寄棟、銅板葺き、平入、桁行5間、張間4間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り朱塗り、群馬県指定文化財。
勅使門勅使門
・勅使門は長楽寺が別当寺を務めた隣接する世良田東照宮の正門として寛永年間(1624〜1645年)に造営されました。文字通り、朝廷からの勅使や幕府からの上使が世良田東照宮の境内に入る時のみに利用され、日常では門扉すら開かなった事から「開かずの門」との別称があります。形式は、切妻、銅瓦棒葺き、一間一戸、死角門形式、木部朱塗り、群馬県指定文化財。
太鼓門太鼓門
・太鼓門は江戸時代初期に造営されたもので、上層部が太鼓堂となっている事から鼓楼とも言われていました。建物は入母屋、銅板葺き、三間一戸、桁行3間、張間2間、袴腰付、外壁は真壁造り、壁面は朱塗り(木部は黒色)、上層部左右には円窓、前後中央には花頭窓風の開口部、周囲には高欄が回っています。群馬県指定文化財。
開山堂開山堂
・開山堂は境内最奥地に位置する建物で、長楽寺を開山した栄朝禅師の坐像(太田市指定文化財)と長楽寺の開基者である伝:徳川義季公夫妻の木像(両像とも群馬県指定文化財)が安置されている事が、堂名の由来となっています。建物は木造平屋建て、宝形造、桟瓦葺き、正面1間向拝付き、桁行3間、張間3間、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、左右には花頭窓付。
本堂本堂
・本堂は平成15年(2003)に改築された建物で、木造平屋建て、入母屋、本瓦葺き、平入、桁行6間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ。
総門総門
・総門は切妻、桟瓦葺き、一間一戸、薬医門形式、袖壁付。長楽寺の正門として相応しい規模を誇っています。


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