下仁田町: 高崎藩士戦死の碑(下仁田戦争跡)

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概要・歴史・観光・見所
高崎藩士戦死の碑(下仁田町)概要: この碑は明治26年(1893)に下仁田戦争30周年を記念して建てられたもので、表の碑文は勝海舟、裏の碑文は市川寛斎の孫三兼万庵の筆です。下仁田戦争は元治元年(1864)水戸天狗党(水戸藩士を中心とする尊皇攘夷派の組織、当時禁裏御守衛総督だった一橋慶喜を擁立し朝廷に働きかける為に京都へ上洛を画策、幕府は諸藩に命じて天狗党を追討され目的は果たせなかった。)900余名と幕府の名を受けた鎮圧軍高崎藩(藩庁:高崎城)200余名との間で行われました。当初は拮抗した戦局だったとされますが多勢の天狗党が次第に優位に進め高崎藩は本陣を撤退、戦死者は天狗党4名に対し高崎藩36名に達したそうです。当地は下仁田戦争の激戦地の1つとされ貴重な事から昭和57年(1982)に下仁田町指定史跡に指定されています。

高崎藩士戦死の碑:写真

高崎藩士戦死の碑
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