中野城概要: 案内板によると「 中野城は可幕時代中期の文永2年(1265)新田義重の子孫、中野景継によって築城され以後同氏の居城となった。景継の子藤内左衛門が延元3年(1338)越前国(福井県)藤島において、主君新田義貞とともの戦死したため、築城後73年にして廃城となった。戦国時代の永禄年間(1558〜70)小泉城主富岡氏配下の宝田和泉守は、中野氏の故城を修築本拠としたが、天正18年(1590)廃城となった。遺構は寺院境内内地を含めて、東西110メートル、南北140メートルに及ぶといわれ、わずかに南西に塁濠跡を確認でき、その規模から中世の館跡とも考えられる。 邑楽町教育委員会」とあります。寺院に隣接する駐車場を囲むように土塁らしき土盛(30〜50p)が数10メートル続いていますが城の遺構かは不明。案内板に出ていた堀の跡も消滅したようです。
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