総社城(前橋市)概要: 総社城の築城は慶長6年(1601)、初代総社藩主となった 秋元長朝が築いたのが始まりとされます。秋元長朝は慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで東軍に与し、会津若松城(福島県会津若松市)に在城していた上杉景勝に対し降伏の説得に尽力した功で総社領1万石が認められ諸侯に列し総社藩を立藩しました。当初は蒼海城に入りましたが、蒼海城はかなり傷んでいたとされ、旧勝山城跡地を利用し新たに新城築城と城下町建設を計画しました。総社城は利根川を外堀とした平城で南北780m、東西750mの規模に本丸、二ノ丸、三ノ丸がありましたが寛永10年(1633)に2代藩主秋元泰朝は甲斐国谷村へ1万8千石で移封となり総社藩は廃藩、総社城も廃城となります。
その後、利根川の洪水や浸食によって多くの遺構が失われ、近年は宅地や畑地、勝山小学校の建設などでその姿を見る事が出来ません。遠見山古墳の高台が物見に使用されていたとされ、土塁と思われる土盛も一部見られますが確証はありません。
城下町には長朝の父親である秋元景朝の菩提寺である元景寺や秋元家歴代の菩提寺である光厳寺が境内を構えています。
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