高崎市(歴史)概要: 古代、高崎市周辺は上毛野一族が支配していた地域とされ浅間山古墳や大鶴巻古墳、観音山古墳など全長100mを超える古墳が点在し、大和朝廷とは異なる大きな勢力があり独特の文化があったと思われます。中世になると和田義盛の後裔とされる和田氏が高崎市周辺を治め、関東管領の上杉氏に仕える事で勢力を広げました。その後も管領職を譲り受けた上杉謙信に従いましたが、突如武田氏に従属し、逆に上杉勢と居城である和田城で攻防戦を繰り広げています。和田氏は武田氏が滅亡すると織田家家臣滝川一益に使え、本能寺の変の後は小田原北条氏に従いますが天正18年(1590)に北条氏が滅ぶと領地は没収されます。
徳川家康が関東の領主になると高崎市周辺は井伊直政が12万石で入封し高崎藩を立藩、当初箕輪城を居城としましたが慶長3年(1598)に高崎城に移しています。その後、酒井家、戸田松平家、藤井松平家、安藤家、大河内松平家、間部家、大河内松平家と藩主が代わり明治維新を迎えています。
又、高崎市は三国街道と中山道の分岐点である交通の要所で宿場町が設置され経済的にも発展し周辺地域の中心的な役割を担いました。
高崎市・歴史・観光・見所の動画の再生リスト
|