青龍神社(館林市)概要: 延宝年間(1673〜1681年)に現在廃寺となっている福寿院の境内から突然水が湧き上がり美しい女性に姿を変えた青龍権現が出現しました。この話しは当時館林藩(藩庁:館林城)の藩主となった徳川綱吉(3代将軍徳川家光の4男・後の5代将軍)の生母「桂昌院(家光の側室・お玉の方)」の耳にも聞き及び、桂昌院は神意と悟り社殿を造営し青龍神社を創建、篤く帰依しました。
綱吉も将軍職に就くと社領10石を寄進し庇護、福寿院が廃寺になった後も延命長寿の霊験があるとし住民達に守られ続けました。
又、この井戸は城沼と竜の井(旧善導寺境内)が繋がっているという伝説があるなど現在でも神聖視され、往時は例祭が行われる7月10日で汲み上げた霊水は延命長寿に御利益があるとして多くの参拝者が訪れたそうです。
因みに竜の井の伝承では城沼に棲む竜神の妻が町娘に姿を変え善導寺の住職幡隨意上人の説教を度々聴いて感化され寺の守護神として井戸に消えていったと伝えられています。青龍権現と城沼の龍神の妻が同一かどうかは不詳ですが青龍の井戸と竜の井と城沼が繋がっているという噂もこの辺が原因なのかも知れません。現在でも門袖や扁額には徳川家の家紋である三つ葉葵が掲げられ徳川家縁の神社だった事が窺えます。
青龍神社:上空画像
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