尾曳稲荷神社(館林市)概要: 尾曳稲荷神社は群馬県館林市尾曳町に鎮座している神社です。尾曳稲荷神社の創建は戦国時代の天文元年(1532)、当時の大袋城の城主赤井照光が尾曳城(後の館林城)を築城した際に勧請したのが始まりと伝えられています。
伝承によると享禄元年(1528)の正月、照光が年賀の挨拶などで当地を訪れた際、子供達に虐められた子狐を見つけ救い出すとその夜一人の老人が現れ、この地は要害堅固の霊地であるから大袋城を廃棄し新たに城を築く事を強くすすめました。翌日一匹の老狐が現れ尾を引きながら必死に城の縄張りし、この城が如何に優れているかを告げ自ら城の守護神になることを約束して姿を消したそうです。照光は神意と悟りこの地に新城を築き尾曳城(館林城)と名付け、本丸から見て北東(鬼門)の方角に稲荷郭を設け社殿を造営し鬼門鎮守社としました。
以来、尾曳稲荷神社は歴代館林城の城主から崇敬庇護され、特に天正18年(1590)に徳川家康の関東移封に伴い当地に配された榊原康政が篤く信仰し尾曳稲荷神社の社殿を再建しています。正保元年(1644)に松平乗寿が入封すると引き続き庇護され正保2年(1645)には社殿の修築が行われています。
尾曳稲荷神社拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺、正面千鳥破風、平入、桁行4間、正面1間軒唐破風向拝付、外壁は真壁造り板張り、懸魚には鳳凰、向拝木鼻には獅子、欄間には龍の精緻な彫刻が施されています。
本殿は一間社流造、正面千鳥破風、銅板葺、1間唐破風向拝付、木部朱塗り、三方浜縁、高欄、隔板付。社殿は現在でも館林城を守護している事から西側(館林城)を向いています。神楽殿は入母屋、桟瓦葺き、平入、正面千鳥破風、高欄朱塗り、普段は吹き放しにせず建具によって解放される仕組みとなっています。
尾曳稲荷神社の社宝である秋元泰朝所用具足(卯花糸威金箔伊予札胴具足)は元々は館林藩(藩庁:館林城)の藩主秋元家が所有し、館林城三の丸に設置されていた千貫門(櫓門)の上層部に置かれていましたが、明治4年(1871)に廃藩置県により館林藩が廃藩となり、それに伴い館林城が廃城になると瓜内稲荷神社の御神体として遷され、さらに瓜内稲荷神社が尾曳稲荷神社に合祀された為、当社に遷されました。
因みに秋元泰朝は秋元家2代目当主で、総社藩2代藩主、谷村藩初代藩主、具足は慶長19年(1614)の大坂冬の陣の際に着用したものと伝えられています。館林七福神霊場:弁財天。祭神は倉稲魂命。合祀祭神は誉田別命・素盞鳴命・倭建命。
尾曳稲荷神社の文化財
・ 館林城絵馬-明治6年-縦97cm、横120cm-館林市指定文化財
・ 明治戊辰戦争磐城進撃絵馬-明治2年-縦120cm、横170cm-館林市指定文化財
・ 明治戊辰戦争凱旋絵馬-明治2年-縦79cm、横113cm-館林市指定文化財
・ 秋元泰朝所用具足(現在は資料館)−戦国〜江戸初期-館林市指定文化財
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