青梅天満宮(館林市)概要: 青梅天満宮は群馬県館林市本町2丁目に鎮座している神社です。青梅天満宮の創建は不詳ですが次ぎのような伝承が残っています。延喜元年(901)、藤原氏などの有力貴族との政争に敗れた菅原道真が大宰府(福岡県太宰府市)に左遷させられました。道真は都を去る際「東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」(私が都を離れても、梅の精霊よ、春には私を思い出しておくれ、そして、お前の匂いを春風に乗せて私の所まで届けてほしい。※私訳)と詠い4つの梅の実を枝に刺し投げたところ日本各地に散らばり根付いたそうです(一般的な飛梅伝説は道真邸の庭木が左遷を悲しみ、梅の木は道真を追って大宰府に飛び、松の木は摂津国八部郡板宿(現在の兵庫県神戸市須磨区板宿町)で力尽き、桜の木は悲しみの果て枯れ果てたと伝えられています)。
その4箇所とは花久里梅(島根県松江市:菅原天満宮※鼻繰梅)、飛梅(福岡県太宰府市:太宰府天満宮)、四季梅(香川県高松市:綱敷天満神社※五色梅)、青梅(群馬県館林市:青梅天満宮)でそれぞれに天満宮の分霊を勧請し菅原道真を祀っています(ただし、他社の由緒書等を見てもこのような伝承は見当たらず当社のみに伝わっているようです。
因みに、大宰府の飛梅は上記の伝説。鼻繰梅は道真が幼少の頃、梅の実に穴を開け遊んでいたものが芽を出した。五色梅は道真と親交があった久利長門守が大宰府の飛梅の種を持ち帰って植えたと伝えられています)。
谷越商店街から路地に入ると鳥居の前の石碑に"日本四社 青梅天満宮"と刻まれ、その奥には朱色に塗られた神門が建っています。神門は入母屋、桟瓦葺、三間一戸、八脚門。拝殿は入母屋、桟瓦葺、桁行3間、梁間2間、正面1間向拝付。本殿は一間社流造。
青梅天満宮:上空画像
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