館林市(歴史)概要: 館林市は古くから開けていた地域で60基 以上の古墳が存在したとされますが最大とされる山王山古墳や富士塚古墳などは全長50m前後の為、巨大な豪族とまではいかない勢力が分布していたと思われます。鎌倉時代になると幕府の御家人である佐貫氏が館林市周辺を支配しますが、時代が下るにつれて一族の舞木氏が台頭し、下克上の世になると舞木氏の被官赤井氏が取って代わります。赤井氏は館林城を居城とし、小田原北条氏と組みし勢力を広めていた為、関東管領を譲渡された上杉謙信(春日山城の城主、越後守護職)と上野国諸侯と対立し永禄5年(1562)には上杉勢の侵攻により館林城は落城し、赤井氏は武蔵忍城(埼玉県行田市)に落ち延びていきました。
謙信が死去すると小田原北条氏が支配し、天正18年(1590)の小田原の役で没落すると徳川家支配になり館林には重臣である榊原康政が10万石で入封し館林藩を立藩します。以後も東国の抑えの城として幕府から重要視され徳川綱吉を筆頭に松平氏、太田氏、井上氏、秋元氏など親藩や有力譜代大名が藩主を歴任し明治維新を迎えます。
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