龍光寺(富岡市)概要: 龍光寺の創建は室町時代後期の長禄年間(1457〜1460年)、奥平貞俊(美作守龍光)が開基となり貞誉上人を招いて開山したのが始まりと伝えられています。天正18年(1590)、奥平信昌が宮崎城(甘楽郡宮崎村)に3万石で入封した際、宮崎の地に移されたと思われます。
慶長6年(1601)に信昌が美濃加納藩(岐阜県岐阜市)に移封になると宮崎城は廃城となり江戸時代初期(慶長17年〜元和3年:1612〜1617)に七日市藩が立藩し下仁田街道(上州姫街道)の富岡宿が開かれると現在地に移転しています。
慶安2年(1649)には3代将軍徳川家光から寺領を安堵されるなど庇護され寺運も隆盛し、本尊の黒本尊無量寿如来は聖徳太子が自ら彫り込んだと伝わる秘仏で富岡市指定重要文化財に指定されています。境内にある大イチョウは宮崎村にあったものを移植したと伝わるもので推定樹齢380年以上、樹高25m、根回り9.5m、富岡市天然記念物に指定されています。
又、境内には明治5年(1872)に殖産興業政策の一環として設立された官営富岡製糸工場で働いていた工女達の墓が30基存在し、名称"富岡製糸工場工女等の墓"として富岡市指定史跡になっています。
富岡製糸工場では8時間労働や日曜日休日、年末年始休み、夏休み、工場内医療施設、寮など当時の日本では画期的な労働環境が整えられましたが家族から離れた生活、製紙場独特の騒音や作業、工女達の身分格差(士族の娘も多く身分による羨望や確執)など現在でいうストレスが多く、チフスなどの流行り病が蔓延し明治34年(1901)まで60人近くの工女が死去し、その内の54人が龍光寺に葬られました。宗派:浄土宗。本尊:阿弥陀如来、観世音菩薩、勢至菩薩。
龍光寺の文化財
・ 梵鐘(総高112.1p、口径65.1p)-室町-群馬県指定文化財
・ 龍光寺板碑(薬研刻、高さ121p、緑泥片岩)-建治2年-群馬県指定文化財
・ 観世音菩薩像(胎内仏)−富岡市指定重要文化財
・ 阿弥陀如来立像(黒本尊無量寿如来)−富岡市指定重要文化財
・ 大イチョウ−推定樹齢380年−富岡市天然記念物
・ 富岡製糸工女等の墓(30基)−明治時代−富岡市指定史跡
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