宇芸神社

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概要・歴史・観光・見所

宇芸神社(富岡市)概要: 宇芸神社は群馬県富岡市神成に鎮座している宇芸神社の石段から見上げた拝殿神社です。宇芸神社の創建は白鳳7年(678)、倉稻魂神の分霊を神成山山頂付近に勧請したのが始まりと伝えられています。旧社地とされる「ウガジンサマ」は岩肌の割れ目に祭られている事から信仰の源泉は古代人の素朴な自然崇拝だったかも知れません。同じく「ウガジンサマ」の麓にある「吉田の池」も信仰の対象になっていたようで、様々な石碑が建立され、例祭の際には獅子舞が奉納されます。延長5年(927)に編纂された"延喜式神名帳"に記載(上野国甘楽郡 宇芸神社)されている所謂「式内社」で、平安時代後期に上野国(現在の群馬県)の著名な神社を列記した「上野国神名帳」に記載されている「従一位宇芸大明神」を当社とする説もあり、上野国十二社の十二ノ宮として信仰を広げました。江戸時代後期の天明年間(1781〜1789年)に火災で多くの社殿が焼失し、享和元年(1801)に赤城大明神が祀られていた現在地に遷座再建されています。

【 貫前神社と小幡氏 】−この火災により、記録も焼失し以前の歴史や由緒が不詳となりましたが、宇芸神社の参道の石段と石垣宇芸神社が境内を構えている神成山には、中世長く当地を支配した小幡氏の持城である神成城が築城されていた事から、戦国時代に没落するまで、小幡氏が篤く信仰していた可能性が高いと思われます(※ 神成城は小幡氏の居城国峰城の支城である宮崎城の詰城)。又、小幡氏は貫前神社を篤く信仰した氏族でもあり、当社の社号の「ウゲ」は「ウケ」=食の神ともされ、元々は貫前神社の御饌津神だったとも考えられる事からも、関係性が窺えます。宇芸神社は明治時代の神仏分離令を経て村社に列し、明治39年(1906)に神撰幣帛料供進神社に指定されています。

【 宇芸神社の社殿、境内 】−長く古い石段を登ると右側に神楽殿(木造平屋建て、入母屋、宇芸神社の神楽殿正面桟瓦葺、外壁は真壁造り板張り、3方吹き放し、格天井絵画有)があり、さらに登ると拝殿が見えてきます。宇芸神社拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行3間、梁間2間、外壁は真壁造り板張り、正面には唐破風附の一間向拝を設え、破風や懸魚が朱色に塗られています。本殿は一間社流れ造り、銅板葺き、不勉強の為、詳細は不詳ですが遷座した享和元年(1801)の建築と思われ、木鼻や、蝦虹梁、壁面、隔て板など建物全体が精巧な彫刻が施されてる事から江戸時代後期の社殿建築の特徴が見られます。

境内にあるムクロジは推定樹齢約300年、樹高約14m、幹周3.95m、枝張東西13m、南北15m、貴重な事から平成22年(2010)に富岡市指定天然記念物に指定されています。境内には小祠が多数軒を連ね多くの神社が合祀されているのがわかり、宇芸神社の信仰の篤さが感じられます、毎年11月3日に行われる宇芸神社の例大祭では太々神楽が奉納されています。祭神は倉稲魂神。

宇芸神社:上空画像

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


宇芸神社:ストリートビュー

宇芸神社:写真

宇芸神社の石鳥居と青空
[ 付近地図: 群馬県富岡市 ]・[ 富岡市:歴史・観光・見所 ]
宇芸神社の境内と石灯篭 宇芸神社の石段と鳥居 宇芸神社の神楽殿と格天井 宇芸神社の石段の参道
宇芸神社の入母屋の拝殿 宇芸神社の一間社流造の本殿 宇芸神社の境内社 宇芸神社の境内社



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