喰い違い郭(甘楽町)概要: 案内板によると「 旧陣屋の中小路に面して造られた"喰い違い郭"。 戦の時の防衛上のために造られたものとみられます。また、下級武士が上級武士に出会うのを避けるため隠れたともいわれています。」とあります。小幡藩の上級武家屋敷(山田家)で、明和4年(1767)に製作された「上州甘楽郡小幡御陣屋御引渡絵図写」にも石垣と見られる描写が描かれている事から、明和以前からこのような形状だったと推定されています。石垣は高さ約1.2m〜1.3mで下幅1.5m〜1.7m、上幅1.0m〜1.5mと上部の方が若干細くなっています。石は20cmから40cmの丸みのある細長いものが採用され、壁面は左右交互に斜めに積む矢羽積、端部と上部は大型の石を積む事で石垣が崩れないようにしています。山田家のような喰い違い郭は甘楽町では唯一ですが矢羽積の石垣は旧上級武家屋敷だった柴田家住宅や高橋家住宅でも見られ、当時の小幡陣屋城下町の様子を今に伝えています。山田家喰い違い郭と中小路の石垣(山田家)と御殿前通りの石垣(山田家)は小幡藩の城下町の構成要素の1つとして貴重な事から平成22年(2010)に甘楽町指定重要文化財に指定されています。
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