雄川堰(甘楽町)概要: 雄川堰は織田氏が小幡藩主となり陣屋を中心に城下町を整備した時に構築されたと考えられています(初代藩主織田信良から工事が始まったとも、3代藩主織田信久が整備したとも云われています)。基本的には日常の生活用水や農業用水で使用され、藩では御用水奉行を設置して管理させたそうです。
現在でも石積みや水場などが良く保存され芋車(案内板−芋車は江戸時代から住民の智彗で雄川用水の流れを利用し里芋・じゃが芋・人参等の野菜を洗い毎日の食生活に利用していた。甘楽町観光案内の会)が復元され当時を偲ぶ事が出来ます。
雄川堰は、水質、水量共に当時と変わらず歴史的、景観的な要素から"日本名水百選(昭和60年:1985年、環境省が全国の著名な名水を100箇所選定した。)"に選定され、雄川堰沿いのソメイヨシノの並木は甘楽銘木十選に認定されています。往時、雄川堰には12箇所の橋が掛けられ両側からの通行が可能でしたが、中でも葬礼橋と呼ばれる橋が民俗学的に興味深いとされます。
東側の通路上には八幡神社(当時の小波多神社)の参道と重なる為、もし東側の住民に不幸があるとその参道を横切らなければなりません。そこで雄川堰の上下2箇所に設けられた葬礼橋を通り一端西側に抜けてから通行する慣例があったそうです。
現在ではそのような意識も薄くなり葬礼橋に利用された板石だけが残されています。雄川堰の総距離約9キロは貴重な事から平成22年(2010)に甘楽町指定重要文化財に指定されています。
雄川堰:上空画像
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