大奥(甘楽町)概要: 案内板によると「 幕末、ペリーが浦賀にやってきたとき、 将軍が江戸城大奥の女官達15〜16人を親藩である小幡藩のこの家に疎開させたと伝えられています。この庭園は江戸時代後期に造られ、静の庭(流のない池)と言われる大奥にふさわし落ち着いた感じの庭園となっております。」とあります。 この地は小幡陣屋城内にあり中小路と称する道幅の広い通りに面し、敷地割りも広く周囲は石垣で囲われている為、格式が高い武家屋敷だったと思われます。ただし、小幡藩(藩庁:小幡陣屋)の藩主松平家は2万石程度だった為、大奥といっても、日常は正室と腰元など限られた人数で生活していたようです。主要の庭園の面積は約360u、瓢箪形の池の長軸方向は約14m、短軸(瓢箪型のくびれ)約5.5m。「大奥の庭園」は江戸時代後期に作庭され庭園として景観が素晴らしく、歴史的にも貴重な事から平成22年(2010)に甘楽町指定名勝に指定されています。
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