桐生新町(製織町)・町並み

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桐生新町(製織町)
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【桐生新町】−当地域(群馬県桐生市)は南朝暦正平5年、北朝暦貞和6年(1350)に桐生国綱によって桐生城が築かれその城下町として整備されました。戦国時代に桐生氏が没落すると、金山城の城主だった由良成繁が入り城の修築と城下町の再編が行われ中興しますが、天正18年(1590)由良氏の牛久(茨城県牛久市)移封に伴い桐生城は廃城となります。同年、徳川家康が関東に移封となり、天正19年(1591)には代官となった家康の家臣大久保長安が、手代である大野八右衛門尊吉に当地の開発を命じると、当時の桐生城の城下町は手狭だった事から現在地に改めて町割が行われました。

新町は久方村の産土神として勧請された天満宮(景行天皇の時代に創建、江戸時代中期に再建された社殿は群馬県指定文化財、祭神は天穂日命、菅原道真公)と、永禄元年(1558)に哀愍寺として創建された浄運寺(浄土宗鎮西派の寺院、江戸時代中期に再建された本堂は桐生市指定文化財)を現在地に移して、両境内を一直線で結び、その両側を短冊状に敷地割りし、高台には陣屋を設置、これにより桐生一帯の行政、経済、軍事の拠点としました。

新町は慶長11年(1606)に完成しましたが、慶長19年(1614)、大久保長安事件により大久保家が失脚すると、尊吉も連座、しかし、桐生新町は引き続き在郷町として維持されその後の繁栄につなげました。元々、織物関係の産業が盛んだった地域で、元文3年(1738)に京都から高機が伝わると、それを取り入れた桐生独自の織物文化が芽生え、それを求める商人が全国から集まるようになり「紗綾市」は関東有数の絹市として賑いました。

紗綾市は江戸時代中期に「紗綾織」が盛んなり天満宮の境内で行われていた絹市を「紗綾市」と呼ぶようになったもので大変賑ったと伝えられています。現在でも当初に計画された敷地割りや古い町屋建築が残され(昭和40年:1965年に道路が拡幅され、拡幅された側は相当数の町屋建築が失われています)、さらには織物工場の特徴であるノコギリ屋根の工場が数多く点在する全国的に見ても珍しい町並みを見る事が出来、平成24年(2012)には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

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