桐生天満宮概要: 桐生天満宮は群馬県桐生市天神町1丁目に鎮座している神社です。桐生天満宮の創建は景行天皇の御代(71〜130年)、当時の上毛野国造である御諸別王が天穂日命(天照大神の御子神:第二子、天照大神の右目から生まれたとされる。木綿の神、産業の神など。)の分霊を勧請して一祠を建てたのが始まりと伝わっています。
桐生天満宮は創建当初は磯部の岡という場所に鎮座していたことから磯部明神と称し、平安時代に上野国(現在の群馬県)の有力神社を列記した上野国神名帳にも従四位上の格式があった事が記されています。
中世に入ると領主である桐生氏の崇敬社となり社殿の修復や社領の安堵が行われ、南北朝時代の観応年間(1350〜1351年)の桐生国綱の代に現在地に遷座しました。その際、京都に鎮座する北野天満宮の分霊(菅原道真)を勧請合祀合祀し天満宮と改称し、桐生領五十四ケ村の総鎮守と定められました。
安土桃山時代の天正9年(1581)には徳川家康により徳川家の祈願所として社領の寄進が行われ、天正18年(1590)に徳川家関東移封に伴い関東一円が徳川領になると、桐生には家臣である大久保長安が配され、その命により大野八右衛門は桐生天満宮を起点として「桐生新町」を町割りされています。
慶長5年(1600)の関ケ原の戦いでは、東軍の軍旗2400旗が桐生の職人によって制作され、桐生天満宮で戦勝祈願が行われた後に徳川家に引き渡され、勝利後は桐生天満宮の境内で織物市の開催が許されています。江戸時代に入ると幕府が庇護し徳川家代々の祈願所として朱印地を賜わっています。
現在の桐生天満宮の社殿は寛政5年(1793)に再建されたもので拝殿、幣殿、本殿が一体化した権現造り、建物全体が極彩色で彩られ細部には名工関口有信による精巧な彫刻が施され(棟梁は本殿・幣殿は町田主膳、拝殿は町田兵部。絵師は狩野益広)。桐生天満宮の社殿は当時の神社建築の技術の最高峰のものとして貴重な事から平成2年(1990)に群馬県指定重要文化財に指定されています。祭神:天穂日命、菅原道真公。
桐生天満宮の文化財
・ 本殿(三間社流造、銅瓦棒葺)-寛政5年-群馬県指定文化財
・ 幣殿(切妻、銅瓦棒葺、桁行4間、梁間2間)-寛政5年-群馬県指定文化財
・ 拝殿(入母屋、銅瓦棒葺、桁行6間、梁間3間)-享和2年-群馬県指定文化財
・ 上記附として社幣殿拝殿妻之図(1枚)・棟札(4枚)
・ 春日社-天正から慶長-桐生市指定文化財
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