本宿(姫街道:下仁田街道・宿場町)・町並み

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本宿(姫街道:下仁田街道・宿場町)
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【下仁田街道】下仁田街道は五街道の1つ中山道の脇街道として整備された街道です。中山道は数多くの西国大名が参勤交代で利用した為、宿場町など混雑する事が多く、それを避ける為にも脇街道は必要されました。特に下仁田街道と並列していた中山道の区間は碓氷峠など難所が多く、さらに中山道の関所の中で最も厳しく取り調べられた碓井関所があった為、女性は中山道を避け下仁田街道を利用する事が多く「姫街道」と呼ばれる由来にもなっています。下仁田街道の経路は中山道の本庄宿(埼玉県本庄市)から分岐して吉井宿(群馬県高崎市)、富岡宿(群馬県富岡市)、下仁田宿(群馬県下仁田町)などの宿場を経由し上野国と信州国の国境に位置する鰐坂峠を越えて再び中山道に合流しています。下仁田街道沿いには小幡藩吉井藩七日市藩がありましたが吉井藩と七日市藩は定府大名だった為、小幡藩のみが参勤交代の経路として利用しました。

【本宿】本宿(群馬県下仁田町)は下仁田街道の宿場町で、下仁田側の宿場外れには西牧関所(藤井関所:文禄2年:1593年に設置、掲示板は当時のもの、手前の石は役人が取り調べの際に容疑者を座らせたもので「泣き石」と呼ばれていた。下仁田町指定史跡)が設けられていました。旅籠、茶屋は10軒前後あったものの本陣が設けられなかった事から名主である神戸家(双渓堂)が本陣に準じた役割を担ったと思われ、元治元年(1664)には下仁田戦争で勝利した水戸天狗党を率いた武田耕雲斎が神戸家で宿泊しています。古くから当地域の中心的な役割を持った集落で、多くの物資が集められ月に9度市が立つ九斎市が開かれ多くの人々が集まりました。特に良質な麻の産地で宿場内で取り扱っていた事から遠く関西からも商人が訪れ麻の買い付けを行っていたようです。本宿は大きく上宿、中宿、下宿と3区に別れ上宿の中間あたりからは、さらに脇道が伸び信州まで繋がっていました。現在でも古い町屋建築が軒を連ね宿場町らしい町並み景観が保持されています。

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