砥沢宿(南牧道・宿場町)・町並み

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砥沢宿(姫街道:下仁田街道・宿場町)
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【砥沢宿】砥沢宿下仁田街道(姫街道)の脇街道である南牧道の宿場町です。南牧道は下仁田宿で分岐して南牧村を経由して信州に至る行程で、戦国時代には武田信玄の上野国(群馬県)侵攻の軍用道路としても利用されたようで街道沿いには軍事施設が設けられていました。砥沢宿の手前には南牧関所が設けられ、中山道の碓井関所程ではありませんが、関守である市川五郎兵衛の他足軽1名、中間(武家奉公人)2名が常駐して人物改めや荷物改めなどが行われていました。さらに、背後に峠を控えていた事から砥沢宿で宿泊や休息で利用する人も多く住民は半農、半宿の生活を行っていたと思われます。地名の由来でもある砥石の産地として知られ、近くの三ッ岩岳の麓には砥石の採掘場が残され、16世紀から良質な砥石が産出され幕府の御用達として高値で取引されていました。基本的に作物の育てられる環境が少ない事から比較的早くから養蚕が盛んになり明治時代には下仁田街道の富岡宿に官営工場である富岡製糸場が出来た事でさらに力を入れたようです。現在街道沿いに残されている建物も多くが養蚕農家の建物で、木造2階建、切妻、平入、2階部分が全て養蚕の作業場となった為、街道側に通行用の廊下を張り出しているのが大きな特徴となっています。近代交通網の発達と養蚕業の衰退と共に集落も衰微しましたが、現在でも明治時代から昭和初期に建てられた養蚕農家の古民家が連続し、珍しく貴重な町並み景観が残されています。

【砥沢鉱山】−砥石の採掘が何時頃から始まったのかは不詳ですが、伝承によると村人が猿が歯を磨いでいるのを見て発見したのが始まりと伝えられています。記録的には天正5年(1577)に砥石が売買されたと思われる古文書がある事から少なくとも16世紀半ば頃には知られた存在だったと推定されています。江戸時代に入ると本格的な採掘が始まり、特に江戸までの中継地だった富岡宿(群馬県富岡市)はその取引により莫大な利益があり発展したされます。その後も明治時代、大正時代、昭和初期にかけて新たな鉱脈を見つけては採掘が続けられましたが、現在はその跡だけが残されています。

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