由良成繁

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由良成繁(金山城)
【 概 要 】−由良成繁は横瀬泰繁の子供として生まれ、当初は新田岩松家の家臣でしたが、享禄元年(1528)に主家である岩松守純の居城、金山城(群馬県太田市)を奪取し新田荘を掌握、天文5年(1536)に「家中法度」「百姓仕置法度」を発布した事で国人領主として確立しています。小田原北条家の上野国侵攻により北条家に屈しましたが永禄3年(1560)以降は上杉謙信に従い、永禄4年(1561)には赤石城(後の伊勢崎陣屋)を攻め、永禄8年(1565)、由良姓に改称しています。永禄9年(1566)、白井城(群馬県渋川市)攻防戦で謙信が敗北した事で再び北条家に属し、永禄12年(1569)に成立した越相同盟では両家に好がある成繁が重要な役割を果たしています。

元亀3年(1572)には桐生城(柄杓山城 跡地には城主だった桐生氏の菩提寺である西方寺があります)、天正元年(1573)には高津戸城(群馬県みどり市 ※城主だった里見勝政が討死、正室である伊勢の方が大間々神明宮近くから身投げをした事から伊勢ヶ渕岩頭と呼ばれるようになったと伝えられています)、同年には館林城(群馬県館林市)を攻略すると天正2年(1574)には子供である国繁に家督を譲り、成繁は桐生城に隠居、領内や城下町の整備を行うと共に、菩提寺である鳳仙寺(群馬県桐生市)を創建し、天正6年(1578)に死去すると鳳仙寺に葬られています。鳳仙寺境内には由良成繁の墓が残され桐生市指定史跡に指定されています(由良家の菩提寺である金龍寺にも墓碑が建立されています)。享年73歳。

由良成繁は社寺の保護も行い、永禄年間(1558〜1570年)には三夜沢赤城神社本殿内宮殿(群馬県指定文化財)を寄進、天正3年(1575)には母衣輪神社を現在地(桐生市本町三丁目)に遷座、同年には青蓮寺に現在地(桐生市西久方)に寺地を寄進、同年には成繁が開基となり普門寺(桐生市菱町)に現在地に寺地と十一面観音像(藁干観音)を寄進しています。

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