【 概 要 】松平乗寿は慶長5年(1600)に岩村藩(岐阜県恵那市岩村町)2万石の藩主松平家乗と石川康通の娘との子供として生まれました。慶長19年(1614)、家乗の死去に伴い大給松平家の家督を継ぎ、岩村藩主に就任しています。同年に発生した大坂冬の陣では徳川方として出陣し大坂方により切られた出口村の堤を修築、慶長20年(1615)に発生した大坂夏の陣では美濃衆を率いて功を挙げました。
寛永15年(1638)に奏者番に昇進、浜松藩(静岡県浜松市)3万6千石に移封となり、寛永19年(1642)に老中に昇進、正保元年(1644)に館林藩(群馬県館林市)6万石で移封となっています。4代将軍徳川家綱の老中時代には大奥女中3千7百人を解雇し、施設も縮小するなどの改革を行っています。
松平乗寿は館林城に入ると松平家の菩提寺である龍巌寺や盛巌寺を城下に創建、正保2年(1645)には館林城の鎮守社である尾曳稲荷神社の社殿の修築、富士嶽神社の社殿の修築などを行っています。
承応3年(1654)死去、享年55歳、戒名:源高院深誉道徹。当初は龍巌寺に葬られましたが、跡を継いだ松平乗久が佐倉藩に移封になると龍巌寺も随行した為、墓碑は護念寺、現在は善導寺に引き継がれています。
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