高崎藩

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概要・歴史・観光・見所
高崎藩概要: 高崎藩は江戸に近く交通の要衝だったことから歴代譜代大名が藩主となり、安藤重長が藩主の時、徳川家光の弟の駿河大納言忠長を預り結果切腹させられています。江戸時代前期は短期間に何度も藩主が何度も交代し享保2年(1717)に松平輝貞が藩主になると明治維新まで代々大河内長沢松平家が藩主を歴任しています。幕末では佐幕派に属し、水戸藩の天狗党と対峙し下仁田戦争を起こしています。戊辰戦争では新政府軍に属し幕府重臣の小栗忠順が知行地である上州権田村に下向するとそれを打っています。明治に入ると急速に藩政が悪化し明治2年(1869)には俗に言う"高崎藩5万石騒動"と呼ばれる大一揆が勃発し、農民4000人が高崎城下に押しかけています。城下町は大動脈である中山道三国街道との結束点で、さらに中山道より最短距離で信州とを結ぶ信州街道(途中で草津温泉に分岐する道がある事から草津街道とも呼ばれた。)が分岐した事から交通の要衝地として経済的にも発展し大いに賑わいました。

高崎藩歴代藩主
 藩 主 名藩主年間石高備考
初代井伊直政1590〜160012万石 
初代酒井家次1604〜16165万石 
初代(戸田)松平康長1616〜16172万石 
初代(藤井)松平信吉1617〜16195万石 
初代安藤重信1619〜16215.6万石 
2代安藤重長1621〜16575.6万石 
3代安藤重博1657〜16955.6万石 
初代(大河内長沢)松平輝貞1695〜17107.2万石 
初代間部詮房1710〜17175万石 
初代(大河内長沢)松平輝貞1717〜17457.2万石 
2代(大河内長沢)松平輝規1745〜17497.2万石 
3代(大河内長沢)松平輝高1749〜17818.2万石 
4代(大河内長沢)松平輝和1781〜18008.2万石 
5代(大河内長沢)松平輝延1800〜18258.2万石 
6代(大河内長沢)松平輝承1825〜18398.2万石 
7代(大河内長沢)松平輝徳1839〜18408.2万石 
8代(大河内長沢)松平輝充1840〜18468.2万石 
9代(大河内長沢)松平輝聴1846〜18608.2万石 
10代(大河内長沢)松平輝聲1860〜18718.2万石 

高崎藩:城下町・町並み・写真

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