泉龍寺(伊勢崎市)概要: 萬松山泉龍寺は群馬県伊勢崎市柴町に境内を構えている臨済宗円覚寺派の寺院です。泉龍寺の創建は平安時代の大同元年(806)とも天安元年(857)に開山したとも云われています。
当初は真義真言宗の寺院で柴崎山玉泉寺と称していましたが室町時代初期の応永元年(1394)に当時の那波城の城主大江宗広が河内国(大阪府)出身の白崖宝生禅師を招いて臨済宗の寺院として中興開山し、応永15年(1409)に宗広が死去すると戒名「泉龍寺殿秀峯宗公大居士」から寺号を泉龍寺に改称しました。
歴代領主となった大江家縁の寺院として庇護され最盛期には塔頭7ヶ寺を擁し数多くの名僧を輩出するなど寺運も隆盛しました。江戸時代に入ると幕府から庇護され慶安2年(1649)には寺領15石を安堵され、貞享元年(1684)には円覚寺(神奈川県鎌倉市)の直末になっています。江戸時代後期の天明3年(1783)の浅間山大噴火の被害により多くの堂宇が大破しその後再興しましたが旧観には及ばなかったとされます。
泉龍寺の境内には稲含社や延命地蔵菩薩・薬師如来像(応永年間:1394〜1427年造立)、観音堂(元密厳院)などがあり、寺宝の白崖宝生禅師画像(応永33年:1426年、京都出身で画僧の明兆作、絹本著色、縦109.5cm、横55.4cm)は昭和48年(1973)に群馬県指定重要文化財に指定されています。大江氏の後裔が那波氏を名乗った為、泉龍寺の境内には那波氏関係の墓碑や供養塔が建立されています。
山号:萬松山。宗派:臨済宗円覚寺派。本尊:釈迦如来。大本山円覚寺百観音霊場第45番札所。伊勢崎佐波三十四観音霊場第11番札所(御詠歌:慈悲の那波 紫し尽せん 法の声 立つの都に 聞くは松風)。
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