連取の松

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概要・歴史・観光・見所

連取の松(菅原神社)概要: 連取の松は江戸時代中期の享保13年(1728)、当時の代官飯島一覚が韮塚の連取の松(菅原神社)諏訪の原から移植したものと伝えられています。連取の松は形状から「笠松」または「天神松」と呼ばれ、推定樹齢約300年、樹高5m、目通り幹周4m、根元幹周4.5m、枝張り東西約33m、南北33mあります。連取の松は当時から銘木として知られ俳諧や和歌の題材にもり文化5年(1808)に製作された刷り物にも紹介されています。菅原神社の参道は連取の松の中に頭を低く下げなければ通る事が出来ず一種の儀礼的な印象をもちます。

菅原神社の創建は元応元年(1319)、当地域で大旱魃が起こると農民達が困り果て、北野天満宮に祈願すると突如として恵みの雨が降った事から神意と悟り天満宮の分霊を勧請したのが始まりとされます。

天文20年(1551)以降は神仏習合し別当寺院として光福寺が祭祀を司るようになり、江戸時代には歴代領主となる旗本駒井氏や伊勢崎藩(藩庁:伊勢崎陣屋)の藩主酒井忠強(嘉永7年:1854年に御国入した際参拝に訪れています)から崇敬庇護され社運も隆盛します。

明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が排され菅原神社となり明治7年(1874)には村社に列し、明治40年(1907)には周辺集落の産土神を合祀しました。

境内には連取の松に因んで「松杉を ほめてや風の かをる音」と刻まれた芭蕉句碑(元禄7年:1694年、芭蕉が京都嵯峨野にある落柿舎で詠んだ句とされます。書は中井薫堂)が建立されています。連取の松は貴重な事から昭和28年(1953)に群馬県指定天然記念物に指定されています。

連取の松:上空画像


連取の松:ストリートビュー

連取の松:写真

連取の松(菅原神社)
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独り言
中々、下手くそな写真で連取の松の凄さが伝えきれていなく残念です。四方に広がった枝は自重で支えきれず、そこら中支えの馬が設けられ何とか枝ぶりを保っているようです。菅原神社の参道は丁度、連取の松の広がった枝の下を潜る形となり印象的な参拝となりました。


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