赤城神社(伊勢崎市)概要: 赤城神社は群馬県伊勢崎市宮前町に鎮座してる神社です。赤城神社の創建は安閑天皇4年(535)に赤城山に鎮座する赤城神社の分霊(磐筒男命:イザナギが十拳剣でカグツチを斬った際、流れた血が神格化した。)勧請されたのが始まりと伝えられています。
当時周辺を支配していた檜前部君一族の崇敬社となり社運も隆盛し、上野国神名帳では「佐位郡、従四位上郡玉明神」に賜ったとあります。
以来、歴代領主である、藤原氏、平氏、清原氏、三浦氏、上杉氏、長尾氏、赤石氏、林氏などに崇敬され社殿の改修や造営、社領の寄進が行われました。往時は周辺7郷(19村)の総鎮守で末社99社を擁する大社として大きな影響力があったそうでが戦国時代の天正15年(1587)に上杉勢の兵火で多くの社殿、社宝、記録などが焼失し一時衰退します。
慶長年間(1596〜1615年)に伊勢崎藩(藩庁:伊勢崎陣屋)の藩主となった稲垣長茂が社殿を再建した際に三夜沢赤城神社(群馬県前橋市)から井下氏を神主として招き、殖木三所大明神として奉斎、正徳元年(1711)に正一位に列した際に赤城明神としています。
古くから神仏混合していて、境内には天台宗法華信仰に関係が深いとされ、室町時代(観応2年:1351年建立の宝塔・貞治5年:1366年建立の多宝塔・延徳2年:1490年建立の石幢など)に建立された多宝塔や石仏などが多数あり群馬県指定重要文化財に指定されています。
明治時代初頭に発令された神仏分離令を経て明治6年(1873)に村社に社号を「赤城神社」に改めています。赤城神社拝殿は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、桁行3間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造板張り。本殿は一間社流造、銅瓦棒葺き、外壁は極彩色で彩られています。祭神:磐筒男命、大己貴命(大国主命)。
赤城神社:上空画像
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