天増寺(伊勢崎市)概要: 大陽山香火院天増寺は群馬県伊勢崎市昭和町に境内を構える曹洞宗寒巌派の寺院です。天増寺の創建は慶長8年(1603)、初代伊勢崎藩(藩庁:伊勢崎陣屋)の藩主となった稲垣長茂が自らの守り本尊である千手観音像を安置したのが始まりとされ歴代稲垣氏の菩提寺となりました。
ただし、境内には南北朝時代の貞和2年(1346)に建立された宝塔(年代が明確な宝塔としては伊勢崎市内最古・最大)や天正18年(1590)赤石城攻防戦で命を落とした那波小太郎、小次郎兄弟の墓碑がある事から以前あった寺院を再興したのかも知れません。
2代藩主稲垣重綱は元和2年(1616)の大阪の陣で功を挙げ、越後藤井藩へ2万石に加増移封、その後も稲垣氏は三条藩(新潟県三条市)、刈谷藩(愛知県刈谷市)、大多喜藩(千葉県夷隅郡大多喜町)、烏山藩(栃木県那須烏山市)、鳥羽藩(三重県鳥羽市)と移封しましたが菩提寺を変える事はありませんでした。
江戸時代を通して幕府から庇護され慶安2年(1649)には3代将軍徳川家光により寺領40石が安堵、上野常恒会十四檀林の一寺となったことで寺運が隆盛します。度々火災や災害によって堂宇が大破しましたが江戸時代末期の嘉永5年(1853)に再建された山門(楼門)だけは当時の姿を留めています。
天増寺山門は三間一戸、桁行3間、張間2間、八脚楼門、入母屋、桟瓦葺、正面背面共に軒唐破風、一部彫刻には極彩色で彩り両脇には仁王像が安置されています。本堂は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、正面1間向拝付き。参道手前の門前大地蔵尊(高さ:467cm)は宝暦12年(1762)に氾濫をくり返した粕川で亡くなった被害者の御霊を慰める為に建てられたもので橋供養地蔵尊としては伊勢崎市内最古、大きさは群馬県最大級とされています。
山号:大陽山。院号:香火院。宗派:曹洞宗寒巌派。本尊:千手観世音菩薩。伊勢崎佐波観音三十四霊場19番札所。新上州三十三観音霊場第14番札所(御詠歌:太陽の 光も高き 天増寺 草木も人も なびく中里)。
天増寺の文化財
・ 天増寺宝塔-貞和2年-総高:224p-群馬県指定重要文化財
・ 稲垣平右衛門長茂の墓付累代の墓(24基)-宝篋印塔-伊勢崎市指定史跡
・ 絹本著色稲垣平右衛門長茂像附同重宗像-嘉永元年-堤唯右衛門作-市指定
天増寺:上空画像
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