沢渡温泉(中之条町)概要: 沢渡温泉の開湯などの詳細は不詳ですが奈良時代に編纂された万葉集での「さわたりの・・・」は沢渡温泉の事ではないかとも言われ鎮守である沢渡神社の境内には万葉句碑が建立されています。建久2年(1191)には源頼朝が沢渡温泉を訪れ、草津温泉の強酸性で肌荒れをこの地で治したことから「草津温泉の治し湯、仕上げ湯」などと言われるようになったそうです。
群馬県には草津温泉や沢渡温泉、川原湯温泉、花敷温泉など源頼朝縁の多く存在します。鎌倉時代の正式の歴史書である「吾妻鏡」には建久2年(1191)に富士山麓で頼朝が大規模な狩を行った事が記載されていますが、以上の温泉を利用した事が記載されている訳ではありません。真実は小説より奇なり)。
江戸時代に入ると沼田藩領となり延宝7年(1679)には藩主である真田伊賀守信利が湯治に訪れています。天保2年(1831)と天保7年(1836)の2度、高野長英(現在の岩手県奥州市水沢区出身、幕府の異国船打払令を批判し捕縛され護送中に自刃)は蘭医として沢渡に招かれ蘭学や医学に大きな影響を与えています(同じ中之条町の赤岩集落でも高野長英を匿ったとの伝説が残されています)。
明治時代までは草津温泉(群馬県草津町)の湯治客の多くが沢渡温泉にも立ち寄り最盛期には湯宿が50軒を数えていましたが、交通機関が発達すると次第に減り始め、昭和20年(1945)の大火災により壊滅的な大打撃を受けます。昭和34年(1959)には「肌を美しくする湯」、「一浴玉の肌」を掲げ復興し現在では12軒の温泉宿が営業し温泉街を形成しています。沢渡温泉の共同浴場は1軒で旅館利用者は無量で使用出きるそうです。
沢渡温泉の泉質: カルシウム・ナトリウム−硫酸塩・塩化物温泉
沢渡温泉の効能: 切り傷、神経痛、慢性消化器病、関節痛、冷え症、動脈硬化、痔疾、五十肩、筋肉痛、慢性皮膚病
沢渡温泉:上空画像
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