沼田市: 正覚寺

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概要・歴史・観光・見所
正覚寺(沼田市)概要: 法蔵山大蓮院正覚寺は群馬県沼田市鍛冶町に境内を構えているの寺院です。正覚寺の創建は不詳ですが当初は現在の榛名町(旧根岸村)付近にあったとされ永禄3年(1560)に沼田万鬼斎顕泰(当時の沼田城の城主)によって現在地に移されました。天正17年(1589)には真田家の重臣で名胡桃城代鈴木主水が北条家の侵攻により城を奪われた事を恥じ正覚寺の境内で自刃し当寺に葬られています。慶長17年(1612)、初代沼田藩主真田信幸の正室である小松姫(大蓮院:本多忠勝の娘で徳川家康の養女)から改めて現在地が境内として認められ、以後、沼田藩からの庇護の対象となりました。元和6年(1620)、小松姫が死去すると分骨が正覚寺に葬られ菩提寺となり、当寺には真田家縁の品々が伝えられています。江戸時代には百体観音の信仰が広がり縁日には数多くの参拝者が訪れ賑いました。慶応2年(1866)の火災により堂宇が焼失し、明治6年(1873)に本堂が再建されています。

正覚寺境内にある小松姫(大蓮院)の霊屋と墓(高さ271p、宝篋印塔、戒名:大蓮院殿英誉皓月大禅定尼)は昭和51年(1976)に沼田市指定重要文化財に指定されています。正覚寺山門は万延元年(1860)に建てられたもので入母屋、銅瓦棒葺き、一間一戸の四脚門、正面には千鳥破風付きの唐破風が設えられ格式の高い建築、細部には精巧な彫刻が施され江戸時代後期の特徴を良く留めているとして平成13年(2001)に沼田市指定重要文化財に指定されてます。

又、境内にあるコウヤマキは根元7.33m、目通り3.59m、樹高21m、枝張り東西10.7m、南北10.3m、貴重な事から昭和51年(1976)に沼田市指定天然記念物に指定されています。正覚寺の寺宝である絹本著色地蔵十王図(寛正2年:1461年作・11幅)は小松姫が正覚寺へ寄進したと伝えるもので貴重な事から平成6年(1994)に群馬県指定文化財に指定されています。沼田坂東三十三観音霊場第25番札所。山号:法蔵山。院号:大蓮院。山号:正覚寺。宗派:浄土宗。本尊:阿弥陀如来。

【 正覚寺菩提者:小松姫 】-正覚寺を菩提寺とする小松姫(戒名:大蓮院殿英誉皓月大禅定尼)は天正元年(1573)、徳川家康の重臣で徳川四天王、徳川十六神将、徳川三傑に数えられた本多忠勝の長女として生まれました。天正17年(1589)に徳川家康の養女となり、真田信幸(真田昌幸の長男)に嫁ぎました。真田家は徳川家に比べると小録で地方の一大名に過ぎませんでしたが、天正13年(1585)の上田合戦で事実上敗戦し無視出来ない存在となっていたようです。小松姫は女丈夫、良妻賢母など称される女性だったようで家康や秀忠、義父である真田昌幸にも物怖じせず堂々と対応したとされます。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでの逸話が有名で敵対した昌幸を沼田城に入れなかった一方で、宿営地に子供と共に訪れ義理を果すといった決め細やかさもあったようです。

戦後は昌幸、幸村の助命に尽力し、両名が九度山に流された後は仕送りや郷里の名産などを贈っていました。元和6年(1620)、病気治療の為、江戸から草津温泉に向う途中、武蔵国鴻巣で倒れ勝願寺で療養中に死去しました。享年48年。遺骸は荼毘に付され、その後、日頃信仰していた沼田の正覚寺、勝願寺、上田の常福寺(現在の芳泉寺)に分骨されました。さらに、元和8年(1622)、信之が松代藩に移封になると松代には小松姫を弔う為に大英寺が創建され、真田家の菩提寺である長国寺の信之の霊廟には2人の位牌が安置されています。

正覚寺:写真

正覚寺境内正面に設けられた山門
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正覚寺境内から見た本堂 正覚寺参道石畳みから見た本堂唐破風向拝とその前の石燈篭 正覚寺境内に建立されている大蓮院殿の墓(宝篋印塔) 正覚寺境内に生えるコウヤマキの大木


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