沼田市(歴史)概要: 沼田市周辺は平安時代末期から沼田氏の本拠だった地域です。当初は荘田城を居城としましたが8代景朝の代に小沢城に移り、天文元年(1532)から沼田城に移ります。永禄12年(1569)に沼田氏の内紛に乗じ上杉氏が沼田領を支配しますが上杉謙信が死去すると上杉家も後継ぎ争いが生じ小田原北条氏が占拠します。天正8年(1580)に真田昌幸が沼田に侵攻し制圧後豊臣秀吉の仲裁により名胡桃城以南の沼田地域を北条方に譲渡しますが天正18年、沼田城主で北条家家臣猪俣邦憲が名胡桃城を急襲、これきっかけに豊臣対北条の関係が悪化し小田原の役が開始されます。
小田原の役後、昌幸は上田城(長野県上田市)を居城として沼田城には嫡男である信幸を配し当地方の要とします。慶長5年(1600)に発生した関が原の合戦後は東軍に付いた真田信幸が9万5千石で沼田藩立藩、元和8年(1622)に信幸が13万石で松代藩(長野県長野市松代)に移ると沼田市周辺(3万石程度)は沼田領として半独立領となり、信幸の長男である真田信吉が領主となります。
信利の代になると6男の信房と松代藩の家督相続争いが起き、結果真田信利が敗れた為、信房が真田宗家を継ぎ、信利は明暦4年(1658)に正式に沼田藩を独立させ3万石の大名に列しました。
天和元年(1681)、信利は悪政と両国橋架け替えの材料調達の遅延を理由に改易されたことで一時天領となり、元禄16年(1703)本多正永が3万5千石で入封、その後、黒田氏、土岐氏と藩主が変わり明治維新を迎えています。
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