沼田市: 舒林寺

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概要・歴史・観光・見所

舒林寺(沼田市)概要: 慈眼山舒林寺は群馬県沼田市材木町に境内を構えている曹洞宗の寺院です。舒林寺の創建は宝徳元年(1449)、大友長忠が開基となり、心華乗芳禅師を招いて開山したのが始まりと伝えられています。

当初は利根郡後関にありましたがその後、沼田城下の材木町に遷り寛文8年(1668)に真田信利の命により現在地に再興再建しています(跡地には天桂寺が遷されています)。

現在の舒林寺本堂は江戸時代後期の文政年間(1818〜1829年)に建立されたもので木造平屋建て、寄棟、銅板葺、平入、桁行10間、正面1間唐破風向拝付、外壁は真壁造、白漆喰仕上げ、向拝木鼻には象、獅子、欄間部には竜の彫刻が施され、内陣には本尊となる釈迦如来像が安置されています。

境内には四代沼田藩真田信政の次男で正保2年沼田城内で弟大学信武斬殺し自刃した真田信守の墓があります。

又、舒林寺は若山牧水の知人生方吉次の菩提寺で牧水が使用した番傘を当寺に奉納した縁から番傘を模った「かみつけの とねの郡の 老神の 時雨ふる朝を 別れゆくなり」の句碑があります。

その他には林柳波の詩碑「子持山淡き夕月 母眠る舒林寺の丘 ふるさとの花静かなり 」や植村婉外句碑「白雲の 行方も知らず 秋の風 」、味噌なめじじ・ばば(閻魔大王と奪衣婆を模した石仏、病んでいる場所と石仏の同じ場所に味噌を塗ると完治するそうです。)などがあります。山号:慈眼山。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦如来。

【 舒林寺菩提者:真田信守 】-真田信守は真田信之(上田藩、松代藩初代藩主)の次男で幼少の3代沼田城主熊之助を支えた真田信政(自身は4代目沼田城の城主の後、松代藩2代藩主)の次男として生まれました。

長兄である信就は出生不詳の側室(小野お通)の子供で、早々と別家(真田勘解由家)を創設した為、信守は時期当主として期待されていましたが正保2年(1645)6月26日の夜、裏門の2階で弟である信武(大学)と争論となり信武と止めに入ったと思われる家臣の佐久間善八を殺害する事件が発生し、それが原因で自刃しました。享年18歳、戒名「照光院殿一関源心大居士」。

同年、信政は信守の菩提を弔うため、改愚和尚を招き照光寺を創建しましたが、明暦2年(1656)に信政が松代藩主になった為、明暦3年(1657)に改めて松代に雲龍山照光寺を創建しています。沼田の照光寺の境内跡には寛文8年(1668)に舒林寺(沼田市)が移って来た事により信守の墓碑は舒林寺が引き継いでいます。

舒林寺:上空画像


舒林寺:ストリートビュー

舒林寺:写真

舒林寺
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