迦葉山弥勒寺(沼田市)概要: 迦葉山弥勒寺は群馬県沼田市上発知町に境内を構えている曹洞宗の寺院です。弥勒寺の創建は嘉祥元年(848)、葛原親王(桓武天皇の第三皇子・上野太守)の発願で慈覚大師円仁(比叡山延暦寺の高僧)が鎮守護国寺として開山したのが始まりと伝えられています。
その後、慈覚大師は境内のある山並みが大迦葉(釈迦十大弟子の一人)が修行した鶏足山に似ていた事から千人供養法会を開催、山号が改められ迦葉山龍華院弥勒護国寺に改称し、寺運も隆盛し境内に49院を擁する大寺として大きな影響力を持ちました。
当初は天台宗の寺院でしたが康正2年(1456)に天巽慶順禅師により曹洞宗に改宗開山し寺号を迦葉山龍華院弥勒護国禅寺に改めています。その際、弟子として尽力した中峰が実は天狗の化身だったとされ、死の直前、弥勒寺の事を禅師に頼むと天狗の面を残して姿を消したそうです。以来、天狗(中峰大菩薩)を弥勒寺の鎮守として祭るようになり、多くの参拝者が天狗の面を奉納するようになりました。
迦葉山弥勒寺は江戸時代に入ると徳川家康の祈願所でもあった為、幕府から庇護され寺領100石の朱印状を賜り10万石の格式を有しました。
高尾山薬王院(東京都八王子市)、鞍馬寺(京都府京都市左京区)とともに「日本三大天狗」の一つに数えられ、弥勒寺中峯堂内には天狗面の購入と奉納を繰り返すといった習わしが残り、現在でも多くの天狗面が奉納され堂内の壁一面が埋め尽くされています。
特に日本一の大きさを誇るとされる昭和14年(1939)に奉納された「大天狗(高さ6.5m、鼻の長さ2.8m)」や昭和46年(1970)に奉納された「交通安全身代わり大天狗(高さ5.5m、鼻の長さ2.7m)」、昭和58年(1983)に奉納された「諸願成就大天狗(高さ4.2m、鼻の長さ2.0m)」などがあります。沼田坂東三十三観音霊場第1番札所。山号:迦葉山。寺号:弥勒寺。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦牟尼仏、道元禅師、瑩山禅師。
迦葉山弥勒寺境内の一角には沼田藩(藩庁:沼田城)初代藩主(沼田領としては5代目)真田信利の墓と伝わる宝篋印塔が建立されています。
伝承によると松代真田家との家督争いに敗れ沼田藩の藩主に就任した信利は、松代藩に対抗意識が悪政を生み改易、幽閉先の宇都宮で失意のうちに死去、その後、密かに弥勒寺境内に運ばれ埋葬されたと伝えられています。
迦葉山弥勒寺山門は、入母屋、銅板葺き、三間一戸、八脚二重楼門、上層部は真壁造り板張り極彩色仕上げ、左右に花頭窓、高欄付き、下層部左右に仁王像安置。拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行6間、正面1間軒唐破風向拝付き、外壁左右には連窓花頭窓付。
中峯堂は、木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行3間、張間3間。迦葉堂は宝形造、銅板葺き、桁行3間、張間3間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、正面花頭窓付。参道には「父母のしきりに戀し雉子の聲」の芭蕉句碑が建立されています。
迦葉山弥勒寺:上空画像
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