小幡家

  群馬県:歴史・観光・見所(ホーム)>宝積寺(群馬県・甘楽町)
【 菩提者 】 小幡家は武蔵七党(横山党・猪俣党・野与党・村山党・児玉党・西党・丹党)の児玉党一族である秩父(児玉)行高の子供、行頼が上野国甘楽郡の郡司として小幡の住し小幡氏を称したのが始まりとされます。室町時代に入ると山内上杉氏が台頭し上野国の守護職を担うようになると被官として従い大きな勢力を持つようになります。上杉氏が関東管領になるとその重臣として上州八家(小幡氏・白倉氏・安中氏・倉賀野氏・桐生氏・由良氏・山上氏・沼田氏)、四宿老(長尾氏・大石氏・小幡氏・白倉氏)などに数えられました。戦国時代に入ると小田原北条氏や武田氏の侵攻により上杉氏も弱体化し、天文21年(1552)に上杉氏の居城である平井城が北条方に落とされると凋落は顕著となり、当時の関東管領である上杉憲政は越後の長尾景虎(上杉謙信)を頼り上野国を離れています。当主である小幡憲重は一時、北条氏に下りましたが早々と離反し、その後は武田家の家臣として信頼を得て西上野侵攻への先鋒的な立場となっています。憲重の跡を継いだ信貞は最強を誇った武田軍の中でも赤備えの部隊を率いた事で、上州の朱武者として恐れられ「武田二十四将図」にも描かれています。天正10年(1582)、武田家が滅亡すると織田信長の家臣で上野国に派遣された滝川一益に与し、同年、本能寺の変で信長が自刃すると北条家が蹂躙、神流川の戦いで一益が敗北し本領に退くと信貞は北条家に降っています。天正18年(1590)の小田原の役では小田原城に籠城、居城である国峰城も豊臣軍の侵攻により落城し大名家としての小幡氏は没落しました。宝積寺(甘楽町)は小幡家の菩提寺で、宝積寺境内には小幡家歴代の墓碑が建立され甘楽町指定史跡に指定されています。

【 寺  号 】 宝積寺
【 所在地 】 群馬県甘楽郡甘楽町轟
【 創建年 】 不詳、弘安3年(1280)の、正安4年(1302)、延慶2年(1309)の石碑があり
【 中興年 】 宝徳2年(1450)
【中興 開山】 即庵宗覚禅師(茨城県東昌寺)
【中興 開基】 小幡実高
【 山  号 】 鷲れい山
【 宗  派 】 曹洞宗
【 本  尊 】 釈迦如来
【 備  考 】 小幡氏歴代の墓(宝篋印塔、13代播磨守顕高の墓のみ明確)−甘楽町指定史跡−指定日:平成元年
群馬県大名菩提寺
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