織田信良

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織田信良(崇福寺)
【 概 要 】−織田信良は天正12年(1584)に織田信雄と木造具政の娘との子供として生まれました。元和2年(1616)に従五位上侍従に叙任され、元和3年(1617)頃に信雄から上野甘楽郡2万石を与えられ小幡藩を立藩しています。織田信雄は大坂の陣で徳川方として行動したようで、その功により大和国宇陀郡3万石、上野国甘楽郡2万石が与えられ復権、寛永7年(1630)に死去すると遺領3万石を巡り小幡藩と信雄の五男である織田高長と争っています。

小幡陣屋(群馬県甘楽町)が竣工するのは寛永19年(1642)の為、それ以前は下仁田街道(姫街道)の宿場町である福島宿に仮陣屋を設けて藩政を担っていました。信良は福島陣屋の隣地に鎮座している笹森稲荷神社(群馬県甘楽町)を篤く崇敬し、子宝が恵まれなかった事から子宝祈願を行い、小幡陣屋の工事安全の祈願を行っています。

元和年間(1615〜1624年)には厳島神社(広島県廿日市市宮島町)の分霊を勧請し小幡厳島神社を創建したと伝えられています。又、信良は小幡陣屋の工事の際、雄川堰の工事も同時の開始されていたようで、水源である稲含山に鎮座している稲含神社の例祭の際には幣帛を奉納したと伝えられています。寛永3年(1626)死去、享年43歳、戒名:心芳院殿松岩浄青大居士、当初は小幡の名刹である宝積寺に葬られましたが、崇福寺が再興されると改葬されています。

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