真光寺(渋川市)概要: 威徳山真光寺は群馬県渋川市渋川並木町に境内を構えている天台宗の寺院です。真光寺の創建は名僧として知られる慈覚大師円仁が平安時代初期に開山したのが始まりと伝えられています。
中世に入ると領主白井長尾家の祈願所として阿弥陀堂が造営するなど庇護され特に文安年間(1444〜1448年)には当時の領主長尾景仲が江ノ島の弁財天の分霊を勧請し信仰を広げました。
その後は、叡海法印の尽力により関東天台宗の渋川談義所が設けられ、当地方の中心的寺院として隆盛を極めました。元亀2年(1572)武田方の真田昌幸の侵攻により白井城(群馬県渋川市白井宿)は落城、その兵火により多くの堂宇が焼失しましたが翌年の元亀3年(1573)には信玄より安堵状が公布され以後、武田家から庇護されます(渋川弁財天は江戸時代に入り真光寺境内外に再興)。
江戸時代に入ると朱印地50石が安堵、天台宗の関東五ヶ寺にも数えられ、西国三十三ヵ所、坂東三十三ヵ所、秩父三十四ヵ所の観音像を安置するなど信仰を広げました。
真光寺は寺宝も多く所蔵し、真光寺洪鐘(万治3年:1660年、冶工:高崎出身金井五郎右衛門、寸法:高さ78.3cm、口径59.7cm、竜頭21.0cm、昭和27年:1952年群馬県指定重要文化財に指定)、壱銭職の聖徳太子塔(安政3年:1856年、石工:信州高遠出身者、平成7年:1995年渋川市指定史跡に指定)、木彫狛犬(室町時代:阿形、吽形の1対、寸法:総高52.5cm、幅67.5cm、昭和27年:1952年群馬県指定重要文化財に指定)、真光寺涅槃図(天保13年:1842年、作者:佐藤酔墨、寸法:縦2.83m、横3.47m、平成19年:2007年渋川市指定重要文化財に指定)などがあります。
参道には桜並木や紫陽花が植えられ花が多く「あじさい寺」として名所にもなっています。群馬郡三十三観音霊場第10番札所。山号:威徳山。宗派:天台宗。本尊:千手観音。
真光寺:上空画像
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