脇本陣(須賀家)概要: 倉賀野宿(高崎市)では本陣が1箇所、脇本陣が2箇所設置されました。脇本陣は本陣に次ぐ格式があり、参勤交代などで複数家の大名が重なった場合に宿泊や休息に利用され須賀家が代々勤めました。
本陣とは異なり場合によっては上役や上級武士、一般客も利用出来た為、当時の宿泊施設としても充実しており明治時代に入り街道制度が廃止になった後も須賀家は旅籠を転じて旅館業として経営しています。そもそも本陣や脇本陣は、宿場の実力者が任命され、戦国時代に帰農した当時の支配階級の例も多く見られます。
中世の領主である倉賀野氏の有力家臣を「倉賀野十六騎」と呼び、その中には「須賀佐渡守」の名も見られる事から、倉賀野宿の脇本陣を歴任した須賀喜太郎家も、佐渡守の後裔かその一族の後裔と考えられます。
現在の建物は明治36年(1903)に再建(木造2階建て、切妻、平入り、瓦葺き、2階左端にウダツが上がり、細かな格子戸は当時の旅籠建築を名残を感じさせます。)されたものですが、表門は江戸時代に建てられたもので脇本陣の遺構として歴史と格式が感じられます。
脇本陣(須賀家):上空画像
|