坂本宿

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概要・歴史・観光・見所
坂本宿(安中市)概要: 坂本宿は江戸から17番目の宿場町です。中山道開削当時は何もありませんでしたが、参勤交代が制度として確立すると、碓氷峠(標高約960m)が難所だった事から参勤交代の際には渋滞となり利用の便宜を図る必要性が高まり麓に新たな宿場町である坂本宿が計画されました。寛永2年(1625)に幕府の命により近隣の高崎藩領と安中藩領から住民を坂本宿に移住させ新たに町割りが行われました。坂本宿の規模は392間(約713m)、街道の幅員は8間1尺(約14.8m)、中央には4尺(約1.3m)幅の水路、宿場の上下の端には木戸(明け六ツ:午前6時に開門・暮れ六ツ:午後6時で閉門)、天保14年(1843)に編纂された「中山道宿村大概帳」によると本陣2軒、脇本陣2軒(最盛期は4軒)、旅籠40軒、人口732人、家屋732軒で構成され他の宿場町と比べると赴きが異なる町割りが行われました。又、基本的は街道に平行に建物が建てられましたが鬼門除けや防衛上の理由から峠側の一部だけが斜めに建てられてます。

元禄7年(1694)、小幡藩の藩主織田信久の命により領内14カ村に坂本宿の大助郷が命じられました。小幡藩は2万石ながら国持大名の面目を保つ為に年々経費が嵩みその負担を農民に押し付けていた矢先の大助郷の命により限界を超え、村々は小幡藩を離脱し幕府領への領地替えを画策しました。村々の代表は江戸に登り幕府の道中奉行に訴えたものの全く相手にしてもらえなかった事から、今度は駕籠に乗っている老中に対して直訴しました。一応聞き届けられた結果、村々の代表と小幡藩との話し合いが設けられ、一定の年貢が免除されましたが代表者は罪に問われ妙義山の山中に幽閉され生涯を閉じたと云われています。

坂本宿は背後に中山道の難所として知られていた碓氷峠を控え、前に日本四大関所に数えられた碓氷関所(群馬県指定史跡)があった為、宿泊や休憩に利用する人達が多く、特に参勤交代では大名が宿泊することが常となり、寛政2年8月8日には参勤交代の往路として加賀藩前田家、復路として松代藩真田家が同時に坂本宿に宿泊しています。坂本宿には2軒の本陣があり上本陣は金井三郎左衛門家、下本陣は佐藤甚左衛門家が担い基本的には宿泊所を提供したのが佐藤家で、金井家は伝馬継ぎ立てを主に担っていたそうです(金井家は金井秀景と何か関係があるのかもしれません)。ただし、文久元年(1861)に皇女和宮が14代将軍徳川家茂に降嫁として江戸に向う道中では金井本陣を宿泊所として利用しています。江戸時代末期の文久年間(1861〜1864年)には一般的な宿場町よりも多い4軒(酒屋・永井家・永楽屋・八郎兵衛家)の脇本陣が設置され、旅籠も40〜50軒と多く旅人や商人なども利用しました。その他にも米屋、鍛冶屋、酒屋、風呂屋、女郎屋、など様々な店が軒を連ねその賑わいぶりは、馬子唄の「雨が降りやこそ松井田泊り 降らにや越します坂本へ」の一説からも窺うことが出来ます。

明治維新後に宿場制度が廃止され近代交通網が発展すると急速に衰退し明治41年(1908)に若山牧水が坂本宿を利用した際は旅籠(つたや)が1軒しかなかったそうです。現在の坂本宿は主要幹線から外れた為、当時の賑わいがなく、多くの建物が建て替えられた為、宿場町として雰囲気はあまり感じられませんが、街道や町割りはほとんど変わらず、武井家住宅(かぎや)などの町屋建築が点在し、案内板や屋号の看板、木戸の復元などに力を入れているようです。鎮守である坂本八幡宮は景行天皇40年(西暦110年)に日本武尊の分霊を勧請して創建された古社で、坂本宿の開宿と共に現在地に遷座し産土神として信仰されてきました。往時は旅人も坂本八幡宮に参拝してから難所である碓氷峠に向ったと思うと苔むした境内からは十分に歴史を感じる事が出来ます。坂本宿の鎮守社である八幡宮の境内手前には「ひとつ脱てうしろにおひぬ衣かへ」の芭蕉句碑が建立されています。

宿場町・町並み・写真

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坂本宿:町並み 坂本宿:町並み 坂本宿:町並み 坂本宿:町並み
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本陣
本陣
本陣
かぎや
かぎや
かぎや
坂本八幡宮
坂本八幡宮
坂本八幡宮
芭蕉句碑
芭蕉句碑
芭蕉句碑
独り言
坂本宿は町屋が数軒残されているものの、過疎化した為か、建物と建物の間が歯抜け状態が目立ちます。しょうがない事ですが少し悲しい事でもあります。当時は難所である碓氷峠を控えている事から大いに賑わったはずなのに。


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