九品寺(高崎市倉賀野町)

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概要・歴史・観光・見所
九品寺(高崎市)概要: 一行山光明院九品寺は群馬県高崎市倉賀野町に境内を構える浄土宗の寺院です。九品寺の創建は室町時代の延徳3年(1491)、当時の領主倉賀野五郎行信が開基となり玄誉上人を招いて開山したのが始まりと伝えられています。境内には倉賀野家縁と思われる墓碑が見られる事から倉賀野家が滅ぶまでは菩提寺として歴代領主から庇護されていたと思われます。

倉賀野氏は鎌倉時代に武蔵児玉党の秩父高俊が当地に配され、地名に因み倉賀野氏を称したのが始まりとされます。南北朝時代の三郎光行時代に本拠だった居館を拡張し倉賀野城を築城、城下町も整備されたと思われます。その後、倉賀野氏は関東管領山内上杉家に従いましたが戦国時代に山内上杉家が没落すると、小田原北条氏や越後上杉氏に従属するようになり、結局、家臣である金井秀景が造反し甲斐武田家に転じた事で倉賀野氏は没落しています。秀景は倉賀野氏の名跡を継ぎ当地の領主となり、武田家が滅ぶと、織田家、本能寺の変で織田信長が倒れると、小田原北条氏に転じ、天正18年(1590)に豊臣秀吉による小田原の役で北条氏が滅びると、金井倉賀野氏も没落します(金井秀景の菩提寺は永泉寺。倉賀野城は廃城になったものの当地には倉賀野河岸がある水上交通の要衝として引き続き経済活動が行われ、それに加え江戸時代には中山道の宿場町(倉賀野宿)として成立し、さらに日光東照宮(栃木県日光市)まで続く日光例幣使街道の分岐点となった事で大いに繁栄しました。倉賀野宿には数多くの飯盛女が働いており、九品寺には飯盛女の墓碑もあり当時繁栄した名残が感じられます。

九品寺寺宝である善光寺三尊像(善光寺式阿弥陀三尊)は南北朝時代後期に制作されたと推定される仏像で中尊(阿弥陀如来像)の像高49センチ、像幅10.8センチ、脇侍(観音菩薩像・勢至菩薩像)の像高36センチ、保存状態が良好で当時の善光寺信仰が広がりがわかるものとして貴重な事から昭和48年(1973)に高崎市指定重要文化財に指定されています。九品寺山門は切妻、桟瓦葺、一間一戸、薬医門。本堂は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺、平入、桁行6間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、正面木部一部朱塗り。鐘楼は入母屋、桟瓦葺き、外壁は吹き放し、楼閣の割に高欄や袴腰がない珍しい形式です。山号:一行山。院号:光明院。寺号:九品寺。宗派:浄土宗。本尊:阿弥陀如来。

九品寺・写真

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脇本陣(須賀家)
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