頼政神社(高崎市)概要: 頼政神社は群馬県高崎市宮元町に鎮座している神社です。頼政神社の創建は江戸時代中期の元禄11年(1698)、当時の高崎藩主松平輝貞が祖先である源頼政(源三位入道)の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています(当初の境内地は高崎城の東側にあった石上寺の境内だったとされます)。
松平輝貞の兄である松平信輝が元禄7年(1694)に古河藩(茨城県古河市)に移封になった際、本城である古河城の城内に、遠祖である源頼政が祭られている頼政神社が鎮座している事を知り、兄弟で篤く帰依し、輝貞が高崎藩の藩主になった際に分霊が勧請されました。
宝永7年(1710)、松平輝貞が村上藩(新潟県村上市)に移封となると頼政神社も村上に遷座し、享保2年(1717)に再び高崎藩に戻ると同様に現在地へ遷座されました。
社宝である稲妻の鎧は、江戸時代後期の天保年間(1830〜1843年)に9代藩主松平輝聴が造らせ、明治維新後に奉納されたもので昭和44年(1969)に高崎市指定重要文化財に指定されています。
同じく、頼政神社に奉納された白銀造太刀(元禄12年:1699年に武蔵国出身の刀匠藤原助隣作、願主:松平輝貞)と丁丑筆話(明治10年:1877年、松平輝声と中国人の筆談の記録)も高崎市指定重要文化財に指定されています。
源頼政は平安時代末期の武将で宮中で鵺を退治するなど名を馳せ、保元、平治の乱でも大功を上げ兵庫頭に列しました。例祭は頼政が自刃した5月26日で、往時は領内一の祭りとして多くの参拝者が訪れたそうです。
拝殿は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、桁行3間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り。本殿は一間社流造、銅板葺き、木部朱塗り、三方浜縁、脇障子付。祭神:源三位頼政公。
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