高崎市: 達磨寺

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概要・歴史・観光・見所

達磨寺(高崎市)概要: 少林山鳳台院達磨寺は 群馬県高崎市鼻高町に境内を構えている黄檗宗の寺院です。達磨寺の創建は延宝8年(1680)、行者である一了居士が霊夢により古くから観音堂に収められていた霊木を達磨大師像として彫り込み安置したのが始まりと伝えられています。

元禄10年(1697)その話を聞いた当時の前橋藩5代藩主酒井忠挙は境内が前橋城(群馬県前橋市)から見て南西方向に当たる為、裏鬼門除けとして庇護し水戸から天湫和尚を召還し少林山達磨精舎として開創し天湫の師である東皐心越禅師を開山としています。享保11年(1726)には水戸徳川家の祈願所となり、享保16年(1731)に少林寺達磨寺として正式に黄檗宗寺院に昇格しました。

現在の達磨寺観音堂は創建当初に「無尽法蔵」と呼ばれる経蔵として建てられ黄檗鉄眼版の一切蔵経が収められた建物で木造平屋建て、入母屋、茅葺、平入、桁行3間、梁間2間、外壁は真壁造り板張り。江戸時代後期の寛政4年(1792)に大改修され、明治14年(1881)の火災で本堂他多くの堂宇が焼失した中、難を逃れた貴重な存在で内部には尊星板梓と北辰鎮宅霊符尊が安置されています。

又、達磨寺境内にある洗心亭は昭和9年(1934)から2年間、ドイツから亡命してきた世界的建築家ブルーノ・タウトが過ごし多くの著書を残した場所として知られています。建物は大正時代に帝国大学農学博士佐藤寛治氏の別荘として建てられた建物で木造平屋建て、寄棟(凸ぶ切妻)、桟瓦葺、平入、内部は6帖と4帖半の2間ですが、歴史的に貴重な事から昭和23年(1948)に群馬県指定史跡に指定されています。

達磨寺霊符堂(本堂)は木造平屋建て、入母屋、正面千鳥破風、銅板葺き、平入、桁行8間、張間2間、正面1間軒唐破風向拝付き、外壁は真壁造り板張り、向拝には精緻な彫刻が施されています。毎年1月6〜7日にかけては全国的にも知られる「高崎のだるま市」が達磨寺の境内で行われ、多くの参拝者が達磨に祈願を込め奉納します。

達磨大師立像は昭和20年代に箕郷町出身の下田家から寄進されたもので像高85cm、昭和52年(1972)に高崎市指定文化財に指定されています。山号:少林山。院号:鳳台院。寺号:達磨寺。宗派:黄檗宗。本尊:十一面観音(伝:行基菩薩作)、北辰鎮宅霊付尊神。

達磨寺:上空画像

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
公式ホームページ


達磨寺:ストリートビュー

達磨寺:写真

達磨寺境内正面に設けられた黄檗宗形式の山門
[ 付近地図: 群馬県高崎市 ]・[ 高崎市:歴史・観光・見所 ]
達磨寺参道石段に設けられた鐘楼門 達磨寺境内から見た大講堂左斜め前方 達磨寺本堂(霊符堂)右斜め前方と銅製天水桶 達磨寺観音堂は茅葺屋根
独り言
ブルーノタウトは建築を学ぶものにとっては超有名人です。タウトは達磨寺の洗心亭を拠点として積極的に日本各地に赴き、日本建築の素晴らしさを書籍にまとめ、世界中に発信しました。桂離宮や伊勢神宮など当時の日本人にとっては物足りない如何にも質素な建物を絶賛し、建築の本質は何かという事を切々を語りました。又、白川郷の合掌造りの民家を調査し、民家建築にもデザイナーや建築家では無く、自然や風土、日常生活から必然的に表現しているものと価値を与えました。タウトにとっても日本での生活が本当に充実していたようで、死んだら達磨寺に埋葬して欲しいと告げていました。2年3ヶ月後、タウトは日本を離れましたが、死後、デスマスクが達磨寺に納められました。


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