酒井忠世:概要

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概要・歴史・観光・見所
酒井忠世(大洞赤城神社)

【 概 要 】酒井忠世は元亀3年(1572)、酒井重忠と山田重辰の娘との子供として生まれました。幼少の頃から徳川家康に従い、天正18年(1590)の関東移封の際には川越城(埼玉県川越市)5千石の城主となっています。慶長5年(1600)に発生した関ヶ原の戦いでは徳川秀忠軍に従軍し会津征伐や上田城(長野県上田市)攻略戦に参加し、その功により慶長6年(1601)に那波藩(群馬県伊勢崎市)1万石で移封となっています。慶長10年(1605)に徳川秀忠が征夷大将軍に就任すると筆頭年寄に出世し慶長12年(1607)には雅楽頭に任じられています。

大坂の陣では秀忠の旗本として御身を守った功により伊勢崎藩(群馬県伊勢崎市・藩庁:伊勢崎城)5万2千石に加増移封となり、元和3年(1617)に重忠の死去に伴い酒井家の家督を継ぎ前橋藩(群馬県前橋市・前橋城)8万5千石(忠世:5万2千石+重忠:3万3千石)の藩主に就任しています。元和8年(1622)に12万2千石に加増、元和9年(1623)に竹千代(後の徳川家光)付の年寄衆に加わり、元和9年(1623)に江戸城の西の丸留守居となっています。寛永11年(1634)に火事により西の丸を焼失させた事が咎められ一時失脚、その後許され寛永13年(1636)には大老に任ぜられています。寛永13年(1636)死去、戒名:隆興院発向源真居士。酒井家の菩提寺である龍海院には墓碑が建立されています。

酒井忠世は社寺の保護も行い、慶長18年(1613)には柴町八幡神社(群馬県伊勢崎市)を再興再建、寛永13年(1638)に忠世が開基となり普門山隆興寺を創建、大洞赤城神社元宮に徳川家康の御霊を勧請合祀し寛永18年(1641)に火災で焼失したの社殿を徳川家光の命で再建されています。

大洞赤城神社元宮:写真
酒井忠世と縁がある大洞赤城神社元宮 酒井忠世と縁がある大洞赤城神社元宮 酒井忠世と縁がある大洞赤城神社元宮 酒井忠世と縁がある大洞赤城神社元宮
龍海院:写真
酒井忠世と縁がある龍海院 酒井忠世と縁がある龍海院 酒井忠世と縁がある龍海院 酒井忠世と縁がある龍海院
前橋城:写真
酒井忠世と縁がある前橋城 酒井忠世と縁がある前橋城 酒井忠世と縁がある前橋城 酒井忠世と縁がある前橋城
柴町八幡神社:写真
酒井忠世と縁がある八幡神社 酒井忠世と縁がある八幡神社 酒井忠世と縁がある八幡神社 酒井忠世と縁がある八幡神社

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



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