【 概 要 】酒井重忠は天文18年(1549)、酒井正親と妙玄尼(石川清兼の娘)との子供として生まれました。幼少の頃から徳川家康に仕え、主要な合戦に従軍、天正4年(1576)に正親の死去に伴い酒井家の家督を継ぎ西尾城(現在の愛知県西尾市錦城町)の城主となっています。
天正10年(1582)、本能寺の変の際には留守居を担い、家康の危機が知らされると白子まで船で出迎えに行っています。天正18年(1590)、家康の関東移封の際に川越城(埼玉県川越市)1万石で移封となり諸侯に列しています。
朝鮮出兵で家康が名護屋城(佐賀県唐津市呼子町)に参陣した際には江戸城の留守居役を担っています。慶長5年(1600)に発生した関ヶ原の戦いでは本戦に参陣し、東軍が勝利した後は大津城(滋賀県大津市)の守備を担当しています。
その後、厩橋城(後の前橋城)3万3千石が与えられ前橋藩を立藩しています。元和3年(1617)死去、享年69歳、龍海院に墓碑が建立されています(当初は菩提寺として柳原山源英寺が創建され遺骸が埋葬、墓碑が建立されましたが、龍海院が前橋に遷ると改葬されています)。家督は酒井忠世が継いでいます。
酒井重忠は社寺の保護も行い、慶長6年(1601)には前橋城の鬼門鎮守として大洞赤城神社(群馬県前橋市)の社殿を造営、同年には霊夢に天神の化身が出現しその御告げに従い前橋城から戌亥の方角にある天神山に鎮座している天満宮(現在の前橋東照宮の配祀)を再興(又は創建)しています。
妙玄尼縁の養行寺に寺地を寄進、前橋八幡宮に社領を寄進、前橋城を整備する際に風呂川の改修工事が行われその守護神として観民稲荷神社を創建、岩神の飛石の麓に稲荷神を勧請し岩神稲荷神社を創建しています。
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