前橋東照宮概要: 前橋東照宮の創建は江戸時代初期の寛永元年(1624)、越前勝山城(福井県勝山市)の城主松平直基(結城秀康の5男、初代勝山藩主3万石、後に大野藩5万石の藩主)が日光東照宮(栃木県日光市)から祖父で初代将軍の徳川家康の分霊を城下に勧請したのが始まりとされます。
以来、松平家の崇敬社として庇護され、移転の度に随行し寛延2年(1749)、酒井家の移封に伴い松平朝矩(越前松平家5代、当初は姫路藩の藩主となったが幼少を理由に前橋藩に移封となった。)が15万石で前橋城に移封すると東照宮も遷座します。明和4年(1767)に利根川が氾濫した事で前橋城が大破、再建を断念し一時廃城となり川越(埼玉県川越市)に居館を移すと東照宮も随行しました。
しかし、江戸時代末期になると前橋城の再建の機運が高まり、松平直克(越前松平家11代)の代の文久3年(1863)に再び前橋城に戻り、明治4年(1871)に東照宮も現在地に再遷座しています。その際、川越の時の社殿を一旦解体し現在地で再び組上げています。
前橋東照宮に合祀されている天満宮は慶長6年(1601)に初代は前橋藩の藩主となった酒井重忠が霊夢に出現し天神の化身のその御告げに従い前橋城から戌亥の方角にある天神山に鎮座している天満宮を再興、又は創建したのが始まりとされ、以後、歴代酒井家から庇護された事で酒井天神として信仰を集めました。
酒井家が姫路藩に移封になると、酒井家と縁が深い養行寺が管理しましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により明治4年(1867)に前橋東照宮の境内に遷されています。
現在の前橋東照宮の社殿は安政2年(1855)に再建され明治4年(1871)に移転再築されたもので拝殿は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺、平入、桁行3間、梁間2間、正面1間唐破風向拝付、外壁は真壁造り板張り、向拝唐破風懸魚には鳳凰、木鼻には唐獅子、欄間部には親子獅子の彫刻が施されています。本殿は三間社流造、銅瓦棒葺、彫刻は島村源蔵が手掛けたとされています。
社宝である前橋藩主松平家能装束・陣羽織・軍配は藩主縁の歴史的にも貴重な事から昭和62年(1987)に前橋市指定文化財に指定されています。祭神:徳川家康公、木花咲耶姫、真公、長壁様。例祭:4月17日。
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